世論調査で「自民と公明は連立を解消すべき」と答える自民党支持者が圧倒的に多いのはなぜか

国内 政治

  • ブックマーク

Advertisement

自自公連立政権

 23~25日に実施したのは読売新聞と日本経済新聞・テレビ東京の合同調査の2つ。

 読売新聞は「今後も連立して政権を担うべきだと思わない」が56%、「思う」が30%。

 日経新聞とテレ東の合同世論調査では「続けるべきだと思わない」が58%、「続けるべきだと思う」が28%。自民党支持層では「解消」が4割、「維持」が5割と拮抗した。

 自治大臣や通産大臣などを歴任した深谷隆司氏は、1999年10月、自自公連立政権(自民党・自由党・公明党)が誕生した際、自民党の総務会長を務めていた。

 また深谷氏はかつて東京2区から選出された衆議院議員であり、現在は自民党東京都連の最高顧問も務めている。

 公明党は5月、「次回の衆議院選挙で東京28区に公認候補を擁立しない」とした上で、「東京では自民党の候補者に推薦を出さない」との方針を決めた。これが自民党と公明党の「協力関係解消」と大きく報じられたのは記憶に新しい。この一部始終を深谷氏は最高顧問の立場から見てきた。

 また深谷氏といえば“自民党のご意見番”として有名だ。なぜ有権者は自民党と公明党の連立政権に批判的なのか、分析と解説を依頼した。

「中選挙区制の時代、自民党候補者は公明党候補者と常に戦っていました。連立を組むなんてイメージは全くありませんでした。1996年の衆院選から小選挙区比例代表並立制がスタートし、現在に至っています。小選挙区制になってからは“対立候補”という意識が薄れていったとはいえ、それでも99年の自自公連立に反対した自民党の国会議員はかなりの数に上りました」

連立の“制度疲労”

 公明党との政策のすり合わせは困難を極めたという。当時の首相は小渕恵三氏(1937~2000)。自民党総裁でもある小渕氏は、公明党との協議で陣頭指揮を執った。

「数分置きに小渕首相と顔を会わせて、総務会長だった私と打ち合わせをする。幹事長は森喜朗さん(85)でしたから、森さんとも打ち合わせをする。終わったら小渕さんは再び公明党との協議に戻る。こんなギリギリの折衝を延々と続けました。党内をまとめるのは大変でしたが、それこそが総務会長の仕事です。反対する議員とは膝を突き合わせて説得し、どうにか自自公連立を実現したわけです」(同・深谷氏)

 それから20年を超える月日が流れた。自公両党が政策をすり合わせるため、綿密な交渉を行ったからこそ、連立政権は破綻することなく維持された。だが深谷氏は「そろそろ“制度疲労”が目立ってきたかもしれません」と言う。

「最大の問題点は、自公で根本政策が異なることでしょう。自民党は改憲が党是です。一方の公明党は護憲を鮮明にしています。本質的には“水と油の政党”です。特に安倍晋三さん(1954~2022)が首相だった頃、改憲や集団的自衛権の問題を巡り、自公の対立が顕在化しました。少なからぬ国民が『自民党と公明党は連立を組んでいるけれど、本当は意見を異にする政党なのでは?』と疑問に感じたはずです」

次ページ:長年の違和感

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。