やっと理想の女性に出会いプロポーズ ところが彼女の出した“条件”に困惑「この結婚、大丈夫なのか」

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 人の性自認や性・恋愛へのスタンスは、最近、非常に細かく分類されるようになっている。だが、それぞれ濃淡があるのも当然だし、自分自身の指向がよくわからない人もいる。ぼんやりとしていたものが結婚後に明らかになってくるケースもあるだろう。

 桜田勇喜さん(42歳・仮名=以下同)は、現在も自分の「本当の気持ち」がわからず、混沌とした毎日を過ごしている。妻に嘘をついているわけではないのだが、妻に心配されたり疑惑をもたれたりすると心がギクシャクするのも感じているという。

 彼は地方の旧家に長男として生まれた。父も母も教育者だったが、「世間体ばかり考えて子どもを抑圧する両親」だったと彼は片づけるように言った。2歳違いと4歳違いの弟ふたりがおり、「男はこうあらねばならん」を強く押しつけられて育った。

「保育園のころから柔道をやらされて。嫌いでしたね、柔道。小学校に入ってからはサボってばかりいました。マッチョなのが嫌だったし、他人と体が触れあうようなスポーツも苦手だった。中学でテニスに出会って、そこからはテニス三昧。親からは『軟弱な男だ』と言われたし、弟たちからも『ダサい』とバカにされてた。偏見もいいところですが、うちの家族はそうだったんです」

 高校は地元の進学校である男子校へ通ったが、ここで同級生にほのかな恋心を抱いた。恋といっていいかどうかと悩むほどの淡さだったと彼は言う。

「テニス部の先輩でした。さわやかで明るくてテニスがうまくて。他校の女子高生がときどき見にくるようなイケメンだった。その先輩に声をかけられるとドキッとすることもあったけど、今思えば淡い恋だったなという感じで、当時は恋だなんて思っていませんでした」

 親や兄弟からは「軟派でチャラい男」だと思われていた勇喜さんは、自らもそれに則ったような行動をとっていた。近くの女子校の文化祭に友人と出かけて、気になる女の子に積極的に声をかけたりしていたのだ。そこに違和感はなかった。

社会人になってもチャラい男…“ただぼんやりした不安”

 東京の大学に進学してからもそれは変わりなかった。テニスのサークルに入り、バイトをして学業はそこそこ。夜アパートに帰るとなにも考えずに眠った。

「ただ、ひとつわかったのは僕はひとり暮らしが好きだということ。家族から離れてホッとした。ひとり暮らしも2年目に入ったころからは自分で料理もするようになりました。レシピ本を買ってきて1つずつ作って。独学だけど基本を学んでみたら、うちの母親は料理が下手だったんだということもわかったし(笑)。ときどき友だちを呼んで食べさせてましたが、好評でした。だけどいちばん落ち着くのは自分で作ったものをひとりで食べるとき。料理は食べてくれる人がいるからいいという人もいるけど、僕は自分の好きな味をひとりで作るのが好きです、今も」

 親からは教育の道に進めと言われていたが、彼は教職をとることもなく、卒業後は中堅企業に「潜り込んだ」。そんなに出世したいとも思わなかったし、本当は何のために生きているのかもさっぱりわからなかった。

「チャラい男を装っていたけど、本当は根が暗いんだと思う。学生時代は恋愛もしましたが、心から好きになれる女性には出会わなかったし、つきあっても続かなかった。実際には遊びで女性とつきあえるタイプではないんです。社会人になってからも、社内にテニスサークルを作ったりして明るいヤツと思われていたみたいですが、いつも心の中には『これでいいのか』という思いもあった。何に悩んでいるのかわからなかったけど、“ただぼんやりした不安”ですかね」

 勇喜さんは芥川龍之介の言葉を持ち出した。彼自身は経済学部だったのだが、もともと本好きで、特に芥川が好きだったのだという。

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