「ラーメン組長」四十九日も終えて後任が決定 本部は金沢に移り、弘道会が新直参組織を神戸に

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四十九日が済んで

 3代目弘道会の直参組織「湊興業」の余嶋学組長が、経営するラーメン店で何者かに射殺されたのが4月22日。それから2カ月余りが経過し、後継体制が発足したようだ。

 突如トップを失った格好の湊興業だったが、余嶋組長の四十九日も無事に済み、後継者も決まり、2代目湊興業として出発することになったという。その「人事」に伴い、拠点の移動なども行われる可能性が高そうだ。

「余嶋組長の後継については、小林茂樹副組長がその跡を継ぐと聞きました。50歳くらいの、業界では若手とされる年齢で、3代目弘道会で期待されている存在だとか。本部預かりの身分ながら、直参に昇格したとのことです」

 と語るのは、元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏(現在は、NPO法人「五仁會」を主宰)。

 余嶋組長と小林副組長とは長い付き合いなのだという。

弘道会歴の長さ

「余嶋組長は板本信明組長率いる北東興業(初代弘道会傘下)でナンバー2の若頭を務めていました。その時のナンバー3として本部長をつとめていたのが、小林副組長だったということでした。初代弘道会の頃といえば司忍会長(当時:5代目山口組若頭補佐)時代ですから、2人の付き合いはかなりの長さになりますね」(同)

 その後、余嶋組長が湊興業のトップになるにあたって、小林副組長もこれに従ったという。

「小林副組長は佐々木康裕組長率いる菱心会でいわゆる部屋住み(組事務所で生活して組長の雑用などを行う)をやっていたこともあるそうです。佐々木康裕組長は弘道会の前身・弘田組若頭補佐を務めていた人物。かつては司忍・司興業組長、神谷光雄神谷組組長と共に弘田組三羽烏と呼ばれていましたね」(同)

神戸に新直参が

 ちょうど山一抗争の真っただ中で、一和会側に移籍することを視野に入れていた弘田組の組長が、進言を受け入れた後に引退。その地盤を引き継いだ司忍組長が初代弘道会を旗揚げするのが1984年のことだから、小林副組長の「弘道会歴」は相当長いと言えるだろう。

「小林副組長は現在金沢在住で、2代目湊興業は金沢に本部を置くことになるでしょう。神戸にある湊興業はなくなるわけですが、その事務所は、2代目の出城として使われることになるかもしれません。加えて弘道会のことですから、神戸の地でにらみをきかす意味でも、直参に内部昇格する組織が必ず出てくると思います」(同)

 組織の側は射殺事件で受けたダメージを回復すべく、人事その他で動きを見せているわけだが、その一方で、捜査のほうはどうなっているのだろうか? 

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