高山清司若頭も出席 6代目山口組の執行部会で話し合われた12年前の「因縁の人物の出迎え問題」

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瀬戸一家で行われた

 6月20日、6代目山口組の執行部会が開かれた。高山清司若頭も出席していたとされるその会合で何が話し合われたのか。

 執行部会は6代目傘下の2次団体・瀬戸一家(愛知県瀬戸市)で行われた。

「高山清司若頭も出席しており、中元のことなどが話題に出たということです。詳細については不明ですが、聞こえてきていている中では、8月に大阪刑務所から出所する淡海一家の高山誠賢(姜義幸)総長の出迎えに関することが大きなウェイトを占めた印象です」

 と、元山口組系義竜会会長の竹垣悟氏(現・NPO法人「五仁會」主宰)。

 古い話で、少し長くなるが、高山誠賢総長の経歴、服役の経緯などについて説明しておこう。

 4代目会津小鉄会の高山登久太郎会長の子息・高山誠賢総長は大学卒業後、滋賀の信用組合に入った。建設業などを営んでいたが、不動産開発で大きな負債を負ったとされる。父・登久太郎会長は1997年に引退して2003年に死去。一方で誠賢総長は自ら淡海一家を旗揚げ、弘道会入りしてヤクザとなった。

「W高山」の逮捕

 高山誠賢総長は2010年、みかじめ料をめぐって京都の土木建築業者の男性を恐喝した容疑で逮捕された。同じ事件で高山清司若頭も高山総長と共謀したとして恐喝罪で逮捕・起訴され、懲役6年の判決を受けた。

 ちなみに、この「京都の土木建築業者の男性」とは長年、部落解放運動に関わってきた上田藤兵衛氏のことを指す。今年、上田氏を描いた『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(伊藤博敏著)が出版されている。

 高山若頭の逮捕は、当時、警察にとっての悲願だったといえる。この「W高山」が逮捕された2010年の時点では、6代目山口組の司忍組長は服役中。そして司組長、高山若頭の出身である弘道会は警察当局の最大のターゲットだった。

「“高山(若頭)をとれ、とるべし”というのが、当時の警察幹部の考え方でした。高山若頭の身柄をおさえることができれば、6代目山口組のツートップが社会不在となり、その勢いをそぎ、瓦解につなげることができるというわけですね」

 と、担当記者。

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