元「吉原ソープ嬢」の写真家が話題 過去を明かして“遊郭・赤線”を撮り続ける理由とは

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「もう人生終わらせよう」と思って吉原に

 風俗の世界でもいじめられる……。辛い思いを抱えていたある日、客から「吉原に行ったら人生終わりだからね」と言われたことで初めて吉原の存在を意識した。

「吉原ってどこにあるかも知りませんでした。調べたら東京にある。“もう人生終わらせよう”と思って吉原に面接に行ったんです」

 最初に入ったのはいわゆる格安ソープランド。店内での扱いがそれまでとは違うことに驚いたという。

「ピンサロの店長は言葉が荒く、扱いも雑でした。ところが、吉原に来たら格安店でもお姫様扱い。女の子に長く働いてもらうためなんでしょうけど、驚きました」

 こうして紅子さんはソープで働くようになった。並行して好きなアート活動も行っていた。引退前には吉原の超高級店で働いていたという。

 結婚を機に風俗の仕事は引退する。しかし、出産後に夫が浮気して離婚。慰謝料、養育費を全くもらえない中、風俗には戻らず、猛勉強して普通の会社に入り、女手一つで子供を育ててきた。日々の楽しみは街歩き。気になる建物があるとスマホで写真を撮った。しばらくして自分が写真を撮っていた場所が、かつての赤線・遊郭跡だったと気がついた。

赤線・遊郭の建物には文化的な側面も

 遊郭とは16世紀に幕府の許可のもと始まった公娼制度。昭和初期まで続き、戦後に進駐したGHQの指令により1946年に廃止された。遊郭は表向き廃止されたが、その機能は「カフェー」「料亭」として引き継がれ、そうした店がある一帯は赤線と呼ばれた。やがて1958年に施行された売春防止法によって、公娼地域としての赤線・遊廓の歴史は幕を閉じる。

 赤線・遊郭の建物は、日本的な荘厳なスタイルの建築もあれば、昭和初期に流行った「アールデコ」の影響を受けているものもある。美しいステンドグラスがあるもの、外壁に色とりどりの豆タイルが貼られたカラフルなもの、猫に見える窓や、富士山を模した手すりがあるものなど装飾に凝っている。多くの人に見過ごされているが、建築された当時の流行や洒落っ気、職人の技術が込められた文化財的側面もあるのだ。

 子育て中はアート活動を中止していたものの、アートへの思いを持ち続けていた紅子さんは、48歳の時に本格的なカメラを購入。YouTubeなどを見ながら独学で撮影方法を学び、全国の赤線・遊郭跡地で撮影を始めた。撮影したものをインスタやYouTubeで公開しているほか、ミニ写真集にまとめて販売している。そしてこの度、本格的な写真集を作成しようとクラウドファンディングを始めた。すると、あれよあれよというまに目標額をクリアしていった。

「最初の目標の150万円を達成できるなんて、想像もつきませんでした。400万円ですか。私などを支持してくださる方がそんなにたくさんいらっしゃることに大変驚いています。感謝しかありません」

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