バウアー以上の大ブームだった…「ホーナー」、「郭泰源」が日本球界に残した“衝撃”

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ヤクルトの“赤鬼”

 DeNAに入団した2020年のサイヤング賞右腕、トレバー・バウアーが5月3日の広島戦で来日初勝利を挙げた。調整登板の2軍戦が大入り満員を記録するなど、メジャーの超大物に対するファンの関心も並々ならぬものがあるが、その後は2試合連続KOを喫し、「どうしちゃったんだ?」と心配する声も上がっている。そして、過去にも来日後、バウアー以上に注目を集め、ブームを起こした助っ人や外国人監督がいた。【久保田龍雄/ライター】

“黒船級”の旋風を巻き起こし、社会現象にもなったのが、1987年にヤクルトでプレーしたボブ・ホーナーである。

 メジャー通算215本塁打の強打者は、年俸高騰に歯止めをかけたい各球団オーナーによる“FA選手締め出し作戦”の結果、年明け後も所属球団が決まらず、「とにかく野球がやりたかった。将来のためブランクを作りたくない」と、4月に年俸3億円でヤクルトと契約する。

 デビュー戦は5月5日の阪神戦。当時、雑誌のライターだった筆者は、この試合を取材している。カメラマンが3人も同行したのは、極めて異例のことだった。

 5回2死一塁の第3打席、ホーナーは仲田幸司から右翼ポール際に来日1号を放つ。三遊間に野手3人を配置する“ホーナーシフト”を見て、「じゃあ、右を狙ってみよう」と当てただけの打球は、「ライトフライと思った」という感触とは裏腹に、フェンスギリギリに守っていた真弓明信の頭上を越えていった。ずんぐりとした体を揺すりながら、ゆっくりダイヤモンドを1周する“赤鬼”の雄姿を今でも鮮明に覚えている。

“ホーナー現象”で株価も高騰

 だが、この一発は、ほんの名刺代わりに過ぎなかった。翌6日の阪神戦、ホーナーは1回に左越え、5回に左中間、7回にバックスクリーンと3本塁打を打ち分け、同9日の広島戦でもスタンドに2発ぶち込んだ。出場4試合で11打数7安打6本塁打。広島・阿南準郎監督も「ヤクルトではなく、ホーナーひとりと戦ったようだね」ともらしている。

 スポーツ紙は、連日ホーナーの活躍を1面トップで報じ、観客動員も前出の阪神との3連戦で14万9000人を記録するなど、「早くもヤクルトに(3億円の)元を取らせた」と言われた。さらにはヤクルト本社株も150円上昇するといった具合に、“ホーナー現象”は日本中を席巻した。

 その後は四球攻めや故障などから、来日直後のハイペースこそ影を潜めたものの、最終的に93試合出場の打率.327、31本塁打、73打点とまずまずの成績を残し、観客動員も年間200万人を超えた。

 日本でプレーしたのはたった1年ながら、30年以上経った今も、「バウアーがホーナー級の活躍をすれば、DeNAの優勝も見えてくる」などと引き合いに出されている。

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