村上宗隆 絶不調の深層 実は昨年、最終戦に放った56号本塁打は危険信号だった

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4番であり続ける重責

 改めて調べてみたが、同年8月の月間成績は、「タイミングの取り方がおかしくなった」と対戦チームのスコアラーたちが気づき始めたものの、打率4割4分、本塁打12、打点25。それに対し、9-10月は打率2割2分1厘、本塁打7、打点14。全くの別人になってしまったわけだ。

「記録達成と、周囲の期待が重圧となったのでしょう。『迷い』もあったと思います。村上はギリギリまで引き付けてボールをガツンと叩くタイプ。速いボールに合わせてタイミングを取りながら、緩い変化球を投げられても 打撃フォームが崩れないのが長所でした。それが、相手投手がまともに勝負してくれなくなり、ストライクゾーンからボール・カウントになる変化球で攻められていました」(球団関係者)

 見送ればストライクかボール、どちらとも取れる“クサイところ”に投げ込まれるようになった。ギリギリまでボールを見る村上は、バットを出すか出さないかで迷い、中途半端なスイングになってしまった。

 その後の日本シリーズだが、7試合で打率1割9分2厘、本塁打1、打点5。「記録達成の重圧から解き放たれたので、復調するはず」という周囲の期待にも応えられなかった。

「55号本塁打が危険信号の点滅。そして記録達成の56号で、完全点灯になってしまったのではないでしょうか」(前出・在京球団スタッフ)

 村上に「日本人選手シーズン最多本塁打数」の55号を献上したのは、巨人のクローザー・大勢(23)だった。神宮球場の左中間スタンドに叩き込む大飛球だったが、プロのスコアラーたちの目には、

「外角球を逆らわずに打ったというよりも、振り遅れてバットに当たったから左中間に飛んだだけ」

 と映っていたそうだ。

 絶好調だったときの村上なら、ライトスタンドに叩き込んでいたはず。振り遅れても、「力で運んだ」わけだが、村上は今春キャンプ後半から侍ジャパンに合流したため、とことんまでバットを振り込む時間がなかった。つまり、軌道修正することができなかったのだ。

 一方で、その振り込んだバットスイングの数が自信となり、昨季後半の「迷い」を払拭するエネルギーともなった側面もあるのだが……。

「村上は好不調に関係なく、試合中に声を張り上げ、チームを引っ張っていこうとします。そのリーダーシップぶりは先輩でチーム主将の山田哲人(30)も認めています。試合前の円陣の声だしで山田が村上に譲ることも多々あります」(関係者)

 そんな性格だから、チーム低迷の責任も感じている。チームの最下位転落を必要以上に重く受け止めているようだ。ファンの「なんとかしてくれ!」の思いも、もちろん伝わっているはずだ。

 56本を放ったときの村上の第一声は「ホッとした」だった。記録の重圧から解き放たれたわけだが、大先輩である王氏の祝福コメントが意味深い。

「最後に産みの苦しみが待っているとは、彼も思っていなかっただろう。良い経験を積んだと思う。この経験が、もっとすごいケースが出てきたときに、もっとすんなり超えられるんじゃないかと」

 4番であり続ける以上、重責から開放されることはないのだ。

 三冠王から三振王へ──。そう揶揄する声もあるが、村神様の復活にはまだ時間がかかりそうだ。

デイリー新潮編集部

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