【叡王戦】藤井六冠が「指し直し2回」の末に菅井八段を破り防衛 印象深い5年前にもあった「千日手」の名対局

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

協議もなく、すぐに再開

 指し直しは両者が再び穴熊に囲い、後手番の菅井が優勢に進めながらも形勢が逆転していく。対局前日、「あれは痛かった、痛すぎました」と吐露した第3局と似た形になった。菅井は3間から4間に飛車を振り替える。昼食休憩の正午までのわずか30分で、初手から42手(菅井の「6四歩」)まであっという間に進んだ。

 先日、福岡県で行われた名人戦第4局では、丸一日かけての「封じ手」がまだ39手目だったことを振り返っても、その速さがわかる。

 手が進んでゆくと森内九段は「先手(藤井)の『6七銀』が決断の手かな」などと話していた。ABEMAで解説する井出隼平五段(32)は「3局目のリベンジの形ですね」と話したが、夕方頃には「ええーっ。これってひょっとして、また千日手かもしれない」と落ち着かない様子になってきた。一緒に解説していた阿久津主税八段(40)と共に「どうやって打開するのだろうか」などと解説盤面を使って盛んに議論し合った。

 しかし午後6時32分、113手まで指された時点でまたもや千日手が成立してしまった。

「僕ら今晩、帰れるのかなあ。これは後日に指し直しですかね。場所は将棋会館かな。どうするんでしょう。まあ、協議するのでは」と阿久津八段は話した。

 しかし、席を外していた森内九段が対局室に戻ってくると、なんの協議もなく、軽食を取ってすぐの午後7時15分から再開と決まった。

次ページ:1982年の名人戦では10局指したことも

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。