市川猿之助、性被害を受けた人数は2桁か 心中に使用した薬の入手経路は?

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 男女の道行きを題材にした「心中もの」は、歌舞伎では定番の演目となっている。が、役者一家が実際に遂げようとしたとなれば、痛ましいというほかない。さる5月18日に自殺を図った市川猿之助(47)。梨園に新風を吹き込んできた「澤瀉屋(おもだかや)」で何があったのか――。

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 一門の屋号である「澤瀉屋」は、明治時代に活躍した初代猿之助の生家が、薬草のオモダカを扱う薬屋を営んでいたことに由来する。面目が立つ「面高」に通じ、「勝ち草」とも称されることから、戦国時代には武家の家紋にも多用されていたという。

 が、当代の大名跡が呷(あお)ったのは、あろうことか「死に至る薬」であった。

〈死んで生まれ変わろうと話し合って薬を飲んだ〉

 一命をとりとめた猿之助は、警視庁の聴取にこう答えたものの、その信憑性は今なお裏付けられていない。世をはかなんでの心中か、はたまた同意なきまま両親を手に……。真相解明が急がれる中で浮かび上がってきたのは、にわかに信じがたい“情景”だった──。

パジャマ姿で口から泡を

 あらためて惨劇を振り返ってみると、

「猿之助は5月3日から、明治座の『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』に出演中でした。18日の朝10時過ぎ、40代男性と60代女性のマネジャーらが東京・目黒区の自宅に迎えに行ったところ、“異状”を目の当たりにしてしまったのです」(警視庁担当記者)

 119番通報は10時16分、直ちに110番に転送された。自宅は地上2階建ての一軒家で、

「救急隊が駆け付けると、猿之助は半地下にあるスペースのクローゼット内に座り込む形でぐったりしていました。同居する父親の市川段四郎(76)と母親の延子さん(75)は、2階のリビングに仰向けで倒れており、三人ともパジャマ姿で口から泡を吹いていた。延子さんはすでに死後硬直が始まっており、段四郎さんもおよそ1時間後、搬送先で死亡が確認されました。両親の首から下には布団が掛けられていたことからも、自死であったとしても“時間差”がうかがえるような状況だったのです」(同)

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