結婚するまで女性を知らなかった43歳夫の告白「いま思えば、奇妙な母子関係が大きく影響した」

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ドラマのキスシーンを「下品なもの」と…

「ここだけの話ですが、性的な目覚めは遅かったです。遅かったというより興味をもたないように仕向けられたというか。成長過程での夢精はあったんですが、そこから性的な興味を抱くところに進まなかった」

 そんな人がいるのかと思ったが、実際にいた。性的なことは悪いことだと彼は、母親から無言の圧力を受けていたと振り返る。あまりテレビは見せてもらえなかったが、それでもごくまれに目にする性的な情報は、母親によって遮断された。

「それでも性教育は受けたし、周りの友人たちから情報も入る。だけどそういうことを耳にするたびに『これは聞いてはいけない、受け止めてはいけない』と思うんです。最近、思い出したんですが、小さいころドラマかなんかでキスシーンみたいなものがあって、母が『嫌ねえ、こういう下品なものは見てはダメよ』と本当に嫌そうな顔をしたんですよ。それ以来、たぶん僕は母が不快に思うだろうというものは避けていた。だから漫画も読まなかったし、雑誌なども外で読んで捨てていました。性的な情報は自分でも不快だと思っていた。反抗期さえなかったですからね、完全に母に牛耳られていたんだと思います」

 母の期待に添おうとがんばったものの、国立高校受験には失敗。結局、公立高校に入学した。母はがっかりしたが、「国立大学は受かってね」と言っただけだった。だがその一言が彼の高校生活での視野を狭くしたのは想像に難くない。

「自分の意志がなかった。母に言われる通り、部活はやらずに学校からすぐに帰って勉強していました。でも結局、どうもたいした能力がなかったようで、最終的には国立大学もどこも通らず、都内の私立大学にひっかかったという感じです」

 その時点で母がいっそ突き放してくれればよかったのかもしれない。だが母は愛情深い目で彼を見つめ、「就職はがんばってね。お父さんよりいい会社に行って」とささやいた。

 だからやはり反抗することもできず、彼は大学の講義をきちんと受け、母にアルバイト先を告げ、不明な行動をとらないようにした。

「母は、いわゆる過保護なわけではないんです。どういうアルバイトをしていて何時に帰ってくるというのがわかれば別に文句は言わない。ただ、ときどきじっと僕を見て『就職のこと、忘れないで』と言うんです。今思えば、妙な母子関係だったと思います。妹は、さっさと遠方の大学を選んで家を出て行きました。あとで『お母さんってヘンな人だったよね』と妹が言っていたので、やはりちょっと変わった人だったのかもしれません」

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