寝たきり老人を激減させた「奇跡の村」 102歳医師が明かす「死ぬまで元気」の秘訣

ドクター新潮 ライフ

  • ブックマーク

Advertisement

「貯筋」

「疋田さんの健康法はジョギングだけですか?」と尋ねたことがある。当時は学会に出る日以外は休診日がなく、住民から電話があれば、24時間いつでも往診に出かけていた。地域に医者は彼一人だから病気で休めば困るのは住民である。だから健康には人一倍気を付けているはずと思って尋ねたのだが、「はて、あとは食事ぐらいかなぁ」と言った。

 ある日、往診の帰りに地元のうどん屋に入ったことがあった。そこで注文したのが大盛りで、私にはとても食べきれないボリュームだったのに、彼はそれを軽く平らげてしまったのだ。驚いて、いつも食べている朝食を見せてほしいと、翌朝、自宅を訪ねたが、食卓に並んだメニューに目をむいた。

 食パン1枚、ゆで卵2個、ハチミツ、ヨーグルト、牛乳400cc、ホウレンソウのおひたし、トマト2個、キュウリ1本、納豆、それに胡麻の粉末ときな粉を混ぜた地元の名産「胡麻きな粉」が添えられていた。かなりの健啖家である。とても80歳を過ぎた人の食事とは思えなかった。

 昼食もそうだが、量は多くても基本的に炭水化物は少なく、おかずの種類が多い。疋田さんは、1日30種類以上の食材を食べるように心がけていた。科学的根拠からでなく、特定の食材に偏らず、満遍なく食べることを習慣にしてきたのだろう。これは今も続いているそうで、99歳で歯が抜けてから粥のような流動食になったが、それでも冒頭で紹介したようにかなりの量である。ただ食事を用意する側にすれば、30品目以上で献立を作るというのはなかなか大変なようで、夫人によれば、30品目以下の食事が2、3日続くと、「この頃はちょっと食事が乱れているな」とつぶやくそうだ。

 疋田さんにとって食事は、運動と共に健康維持の基本である。例えば風邪をひいて熱を出しても、薬は一切飲まず、食事などで自然治癒するのを待った。おかげで、誤嚥性肺炎になったときも抗生物質を飲んだらすぐ治ったという。100歳を過ぎても元気なのは、これを地道に続けてきたからだろう。今は運動をしていないが、過去の「貯筋」(筋肉)で食べているといえるのではないだろうか。

「あそこは家にいるより孤独だ」

 現在の疋田さんはといえば、デイサービスには「あそこは家にいるより孤独だ」と言って行かずに、ほとんど自宅で過ごしている。集団生活は性に合わないのだろう。では孤独かというと、そうでもなさそうで、住民がカンパを募って大理石の立派な顕彰碑を建てたおかげで、小学生らが「生きているうちに碑が建つような立派な先生に会いたい」と訪ねてきたり、半生を地域医療に尽くした疋田さんに会ってみたいと若い医師がやって来たりするので、家にいながら今の生活にはけっこう満足しているようである。

奥野修司(おくのしゅうじ)
ノンフィクション作家。1948年生まれ。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で講談社ノンフィクション賞と大宅ノンフィクション賞を受賞。『ねじれた絆』『皇太子誕生』『心にナイフをしのばせて』『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』など著作多数。

週刊新潮 2023年4月27日号掲載

特別読物「『満足死』で寝たきり老人を激減させた! 奇跡の町の『102歳医師』が説く 『死ぬまで元気でいる』秘訣」より

前へ 4 5 6 7 8 次へ

[8/8ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。