大腸がんの手術前日、妻から“重大な秘密”を告白された58歳夫 「僕は20年以上騙されていた。なぜ墓場まで持って行かないのか」

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前編【会社経営の父が急逝、継母とは不仲…「あなただけが頼り」と言っていた妻 今その言葉は嘘だったと感じる夫の苦悩】からのつづき

 西川健造さん(58歳・仮名=以下同)は現在、妻の由利子さんの「秘密」を知って苦しんでいる。彼女は芸術肌で、会社経営者の父の支援を受け活動していた。ところがその父が急逝、会社は乗っ取りに合い、継母の策略で相続することもできなかった。すべてを失い苦しむ由利子さんに手を差し伸べる形で、健造さんは彼女と結婚した。

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 ひょんなことから30歳で、同い年の由利子さんと結婚した健造さん。それからは仕事に精を出した。由利子さんはバーでピアノを弾く仕事をしながら、音楽教室などでも働くようになった。

「2年後に子どもができたとわかって、僕はすごくうれしかった。でも彼女はあまり喜んでいませんでしたね。子どもをもつのが怖いと言っていた。大丈夫だよと励ますしかなかった」

 彼の気遣いと激励によって、彼女は少しずつ明るくなっていった。もともとは明るい人だったのだ。話もおもしろかった。だから惹かれたんだとようやく彼は思い出していた。

「産まれたのはかわいい女の子。由利子にそっくりで美人さんでした。指が長くてきれいでね、お母さんに似てピアノが上手なんじゃないと助産師さんや看護師さんに言われて、妻はうれしそうでした」

 由利子さんは、子どもが泣いてもわりとおっとりかまえていて、子育てで愚痴を言ったこともほとんどなかった。長女はめったに夜泣きもしない子だったので育てやすかったそうだ。

 2年後に次女が産まれた。次女は繊細な子で、長じるにつれて過敏なほど繊細な感性をもっていることがわかっていった。

「長女は由利子のおっとりしたところを、次女は由利子の感性豊かなところを引き継いだみたい。僕はよくそう言っていました。由利子はいい母親でしたよ。子どもを産んでからも、音楽関係の仕事は続けていたし、ときおり絵も描いていた。絵はコンクールに出せばいいのにと思ったけど、なかなかその勇気が出ないと言っていました。抽象画なんですが、僕は彼女の絵が好きだった」

「京都のママ」との不倫関係

 40代半ばを過ぎたころから、彼の仕事はどんどん忙しさを増していった。地味な会社なのだが、時代の流れを受けて徐々に業績が上がり始めたのだ。周囲の信頼を得て営業部長になった彼は、常に「楽しく仕事をしよう」をモットーに部内を明るく、風通しよくした。そのことでまた業績が上がった。

「派閥だの諍いだのは嫌なんですよ。ひとりひとりが伸び伸びと仕事をするのがいちばん。謝るのはオレの仕事だから、みんな自分で考えて自由に仕事をしてほしいと伝えていました。ときには大きなミスもあったけど致命傷にはならなかった。それは何でも言いやすい雰囲気があったからでしょうね」

 家では妻と娘たちが、それぞれ楽しそうに生活している。何の心配もないと思っていた。

 仕事も家庭もうまくいっていると、つい息抜きしたくなるもの。出張先で知り合った女性と親密になり、その関係は3年ほど続いた。

「本気でした。家庭と彼女を天秤にかけたこともある。どうして愛する家族がいるのに、別の女性が気になってしまうのか、いまだにわからないけど。その彼女は20歳も年下でしたが、とある和風バーのママで着物が似合う女性。一目惚れでした。普通ならそれだけで終わるはずなんだけど、たまたま僕がいるときに店で酔客が暴れたんですよ。ママが警察は呼びたくないというので、僕がうまいことを言って彼を店から追い出した。暴力はふるっていません。追い出してからちょっと脅しておきましたけど」

 そこからママと親しくなった。ママのほうから誘われて関係を持ち、健造さんが夢中になった。金曜の夜から出張だと出かけて日曜の夜に帰宅していては、すぐに妻に怪しまれるに決まっている。

「でも妻は気づいていながら何も言わなかった。3年近くたって長女の成人式の日に、店の名前とママの本名を出しながら、『いいかげんにしたらどうどす?』って。ママは京都の人なんです。ぐわ、バレてると心臓が止まりそうでした。でも妻はそれ以上、何も言わなかった。こういう言い方は失礼だけど、ちょうどママとの関係も煮詰まっていました。あちらにも誰かいたみたいだし。それできっぱり別れました」

 別れたことは由利子さんには言わなかったが、察してはいただろう。彼女はそれまでと態度を変えなかった。ホッとしたような怖いような複雑な気持ちだったと健造さんは言う。これで頭が上がらないと思ったのは確かだった。

手術の直前、妻が明かしたのは…

 今から5年前、健造さんに大腸ガンが見つかった。幸い、初期だったのですぐに治療を始めた。

「最初、僕はガンであることを妻に隠していたんです。でも治療が始まればわかってしまう。手術も必要でしたしね。だから手術が決まったとき、実はと妻に言いました。由利子は落ち着いて聞いてくれた。僕が冗談で『オレが死んだら、きみは再婚するなり恋愛するなり自由にしていいから』と言うと、彼女は涙ぐみました。浮気の一件があったけれど、僕のことを心配してくれているんだとうれしかったですね」

 手術前日、彼は少し神経質になっていた。手術は怖かったし、実際、体にメスを入れるのは初めてだから、何があっても不思議ではないと怖くなった。

「病室に家族が来てくれました。長女は遠方で働き始めたばかりだったけど、駆けつけてくれた。次女は当時、大学生でしたね。繊細すぎて彼女は生きづらそうだったけど、由利子と同じように芸術の道を歩もうとしていました。少なくても子どもたちに関しては、もう心配はいらない。僕がいなくても大丈夫だと思っていた」

 娘たちを先に帰し、由利子さんが残った。一緒に帰っていいよと言ったのに、彼女は彼のベッドの脇で手を握り続けていた。

「何か言いたそうでした。でも促しても言わない。沈黙の時間に耐えられなくなって、もういいよ、帰ってと言うと、由利子が『あなたに万が一のことがあったら一生、後悔しそうなの』と言い出した。だったら話してと言ったら、とんでもないことを聞かされたんですよ」

 声の調子が変わったので、ふと彼の顔を見ると目に涙がたまっていた。いったい何があったのだろう。

「由利子は、実はあなたのガンはかなり進行していて手術ができないかもしれないと衝撃的なことをさらっと伝えてきました。主治医は本人にきちんと伝えたほうがいいと言ったけど、私は言えなかった。でもやっぱりあなたは真実を知る権利があるわよね、と。いや、手術前日に言うなよと思いました。もうひとつある、と彼女は言いました。『私が長い間、お世話になった人が昨日亡くなって、明日はお葬式なの。だからあなたが目覚めたとき、私はいないかもしれないけど許して』って。どういうふうに世話になったんだと聞いたら……」

告白を聞いて「もう死んでもいいや」

 亡くなったのは、彼女のパトロンだったのだという。若いころ父親に引き合わされた、25歳も年上のお金持ちだった。大学の学費のみならず、音楽留学したときの費用まで出してくれたらしい。当然、引き換えに差し出したのは彼女の肉体だった。

「父親に売られたようなものかと思ったんですが、なんというか、そのへんは曖昧だったようです。父親は純粋にパトロンになってくれるものだと思っていた可能性もある。でも彼女自身が、お金だけ出してもらうことに耐えられなかった、と。ピアノバーで働けるようになったのも、そのパトロンのおかげ。そうやって結婚後もめんどうを見てもらっていたようです。当然、体の関係も続いていたんでしょう。次女はその男の子かと尋ねたら、妻は泣き出しました。京都のママと浮気したことを、僕はずっと妻に悪いと思っていた。だけど妻は結婚してから20年以上、僕を騙していたわけです」

 騙してはいない、あなたは何も聞かなかったと妻は言った。複雑な家庭で育ったらしい妻に、土足で踏み込むようなことはできなかっただけだと彼は静かに言った。

「これで思い残すことはないよ。妻にそう言いました。手術の恐怖より、今までの人生が全否定されたような、空虚な気持ちでしたね。もう死んでもいいやと思った。ところが手術が成功し、病状も思ったより深刻ではなかった。1ヶ月半ほどで仕事にも復帰できました」

 以来、転移もなく先日、手術から5年を迎えた。まだ定期的な検査は続くが、一息ついていい状態だと医師に言われた。

「これ以上、妻に嘘をつかせるのは…」

「そうなって初めて、妻の告白がじわじわと心を侵蝕してきました。術後から今まで、妻はかなり献身的に看病し、心配してはくれた。僕自身、妻のあの告白は忘れようとも思っていた。でもまだ当分生きられそうとなれば、どうしても気になる。一息つけるよと妻に告げ、『オレが死んだほうが気が楽だった?』と思わず嫌味を言ってしまいました。そのあと、自己嫌悪に陥った。妻からは『別れたほうがいいなら、そうする』と言われました。どうして墓場まで秘密を持って行ってくれなかったんだと妻に言いながら、気づいたら号泣していた。自分が泣いているなんてと驚きました」

 悲しいのか悔しいのかわからない。淡々としているように見える妻が憎いと思った。だが数日たつと、この家族の形を壊して何かいいことがあるのかとも思うようになった。5年が過ぎたことを報告すると、娘たちがお祝いしてくれた。

 次女は健造さんを本当の父親だと思っている。娘には何も明かしていないと由利子さんは言った。それがせめてもの救いだった。

「こうなったら真実を聞かせろと妻に迫ったこともあります。最後まで男とは肉体関係があったのかと尋ねもした。すると妻は、40代になってからは一度もないと言いました。でも嘘だなと思った。これ以上、妻に嘘をつかせるのはかわいそうになりましたね。何をどう言っても過去のこと。変えられないんですから」

 いろいろ追い込まれていた妻の心情を思うと、ときどき気の毒には思う。だが、妻のあのタイミングの「告白」は許せないとも感じている。自分が楽になりたいだけだったのだろうと健造さんは思っているそうだ。

「いつまで生きられるかわからないけど、何のために生きているのかとふと虚しくなります。それでもせっかく生き延びたのだから、何かしないといけない。僕にできることは何なのか、妻との関係も含めてゆっくり考えていこうと思っています」

 死を覚悟した健造さんなら、もう一度、生に対峙したとき何かが生まれるはず。自分に期待しながら歩いていきたいですねとつぶやいたら、彼はにっこりと笑った。

前編【会社経営の父が急逝、継母とは不仲…「あなただけが頼り」と言っていた妻 今その言葉は嘘だったと感じる夫の苦悩】からのつづき

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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