暴力団組長兼「ラーメン屋店主」の死は抗争によるものか私怨か 右目下から入った銃弾の行方、野球賭博の胴元説の真贋

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カネや絆會との関係は

 カネに関する噂は他にもあり、神戸・須磨に組事務所を設立する際に弘道会側から借金をしていたとの話もある。

「確かに設立時に本部から700万円を借りているのですが、10年ほど前に完済したとの話を余嶋組長がしていたと聞きました」(同)

 ところで、事件の起こった神戸・長田と言えば絆會の織田絆誠代表の自宅の近くだ。織田代表は元々、6代目山口組に所属していたが反旗をひるがえして神戸山口組結成に参画。が、そこも脱退して絆會を結成した。現在は神戸山口組と連合を組む池田組と運命共同体の関係にある。その絆會がヒットマンを差し向けたとの説についてはどうか。

「そもそも絆會が6代目側と揉めて良いことは少しもなく、関係ないと私は思います。ただ、絆會が関係しているといった噂は根強くあり、その裏取りをしていくと覚せい剤絡みだとの指摘があるのですが、余嶋組長自身は、覚せい剤を好まないとのことでした。したがって余嶋組長が絆會と覚せい剤絡みで揉めることはないように思います」(同)

弘道会直参組長とラーメン屋

 一方、敵対組織である神戸山口組傘下・4代目大門会の清崎達也会長とは服役中に兄弟分になったとされる。

「山口組が分裂した後も、それぞれの組織に“リクルート活動”を展開していたようです」(同)

 ともあれ、ラーメン屋の店主が6代目山口組の中核組織である3代目弘道会直参の組長だったことに、世間は少なからず動揺を隠せないでいるようだが、

「私にとっては特に違和感はないですね。テキヤはラーメン屋を経営したりしますし。もともと余嶋組長はラーメンの仕込みを手伝っていたのですが、料理する人がいなくなって店主になったとのことです」(同)

 3代目山口組の田岡一雄組長は「生業を持て」と配下に説いていたとされる。ある意味で余嶋組長はこの教えを忠実に守ったということなのかもしれない。

「弘道会直参組長とラーメン屋店主の肩書が両立しない・そぐわないという見方は確かにあるのかもしれませんが、そこまで力のある組織でないならばそれなりにカネを稼ぐ仕事を別にもっていたとしても何ら不思議ではありませんね」(同)

いつもカウンターの隅に

「弘道会の関係者からは店に顔を出すべきではないと言われていたようですが、余嶋組長はいつもカウンターの隅に座っていたそうです。後輩から牛テールを格安で仕入れ、それを売りにしたラーメンを提供していたと聞きました。もっとも、そのラーメンは主に第1発見者の女性従業員が作っていたとのことですが」(同)

 犯人と思しき「帽子をかぶった人物」の顔は防犯カメラからうかがえないようだ。その歩き方から年齢層を限定する見方もあるが、なかなか確定できないという。神戸で唯一の弘道会直参組織の組長の亡骸は24日、自宅に戻った。依然、その死は謎に包まれている。

デイリー新潮編集部

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