史上たった一人の珍記録 「全ポジション出場」&「全打順本塁打」を記録した“究極のユーティリティープレーヤー”

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中学1年以来の「捕手」抜擢

 1番から9番までの全打順で本塁打を達成した選手は、第1号の古屋英夫(1989年・日本ハム)から昨年の中村奨吾(ロッテ)まで計15人に上る。そして、この全打順本塁打に加えて、全9ポジション出場の珍記録をダブルで達成したNPB史上たった一人の“究極のユーティリティープレーヤー”が、ロッテ、オリックス、近鉄とパ・リーグひと筋に13年間プレーした五十嵐章人である。【久保田龍雄/ライター】

 前橋商エース時代の1986年夏の甲子園でベスト16に進出し、日本石油で3番打者として活躍した五十嵐は、91年にドラフト3位でロッテに入団した。

 1年目は外野手だったが、93年から内野手に転向し、95年までに内野の全ポジションを経験した。さらに同年5月7日のオリックス戦で、8つ目のポジション・捕手が実現する。

 8回の守りで、本塁クロスプレー判定をめぐり、激高した捕手・定詰雅彦が球審を両手で突いて退場になったことがきっかけだった。

 定詰はスタメンマスクの山中潔に代わって途中出場しており、3番手捕手の猪久保吾一も風疹で自宅療養中とあって、代わりの捕手はもういない。

 この緊急事態に、代役に指名されたのが、セカンドで出場していた五十嵐だった。中学1年のときに練習でマスクをかぶった経験を買われたのだが、実戦で捕手を務めるのは初めてとあって、「えっ、オレが?」と目を白黒させた。

高校時代以来のマウンドも実現

 内田強ブルペン捕手のミットと猪久保の捕手用具一式を借り、外見こそ捕手らしくなったものの、投手との細かいサインの打ち合わせは無理。小野和幸に直球主体で投げてもらい、9回まで何とか2失点で乗り切った。

 試合後、五十嵐は「ボールを捕るのに無我夢中でした。捕手の仕事は簡単ではない」と疲れ切った表情だったが、定詰の退場によってお鉢が回ってきた“緊急マスク”が、結果的に全9ポジション出場への大きな布石となるのだから、野球は奥が深い。

 これにより、1974年の高橋博士(日本ハム)以来、史上2人目の珍記録まで残るは投手だけ。高橋はシーズン終盤の消化試合でファンサービスを兼ねた余興として、1試合9ポジションをこなしているので、地道にコツコツと何年もかけて達成するのは、事実上初の快挙になる。

 そして、オリックス時代の2000年6月3日の近鉄戦で、ついに高校時代以来のマウンドが実現する。

 この日のオリックス投手陣は、3回に先発・小林宏がクラークに頭部死球、警告試合宣告後に2番手・岩下修一が礒部公一の顔面に当て、危険球退場、3番手・ブロウズも4連続四球など計8四球と大荒れだった。

 8回の時点で3対16とラグビースコア並みの大差をつけられ、なおも無死三塁のピンチに、仰木彬監督は五十嵐を4番手としてマウンドに送った。「白旗を挙げたということや」という理由からだが、もちろん、全ポジションを達成させる目的もあった。

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