タモリにかけられた最後の言葉は? 安齋肇が明かす「空耳アワー」秘話

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 毎度おなじみ流浪の番組「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)が、3月31日、惜しまれつつ40年の歴史に幕を下ろした。番組内の名物コーナーも終わり、毎週の楽しみがなくなったなんて方も多いはず。ここは悲しみをグッと堪えて、“ソラミミスト”安齋肇さん(69)が語る秘話に耳を傾けよう。

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 日本語のように“言われてみれば確かに聞こえる”洋楽を、独自の映像と合わせて鑑賞する「空耳アワー」が始まったのは1992年。安齋さんが振り返る。

「番組の放送作家がプロデューサーに、このコーナーにぴったりの専門家がいると僕を紹介したんです。最初の肩書は“テーマミュージック評論家”。一度も名乗ったことないんですけどね」

個室ビデオで撮影したことも

 イラストレーターやアートディレクターとして活躍していた安齋さんは、この依頼を断ろうとしたという。

「タモリさんはずっと憧れの人。僕なんかは器じゃないと思ったんですよ。だけど最初の打ち合わせに1時間遅刻して、断れなくなっちゃったんです」

“遅刻癖”は筋金入りで、

「あるとき、徹夜で仕事をして、出掛ける前に風呂に入ろうとしたら水だったんです。そんなことで手間取ってやはり1時間遅れたら、さすがに叱られましたね」

 タモリは“なんでわざわざ風呂に入るのよ。俺とセックスするわけでもないのに”と説教。その様子のみが放映され、その日は空耳の紹介ナシという伝説の回になった。

 収録の内幕も披露。

「1本の収録時間は10分ぐらい。そのために本編の撮影に合わせて千葉や埼玉まで行くんですよ。一番遠かったのは大阪かな」

 撮影場所もさまざまだ。

「走行中の揺れるロケバスで撮ることもありましたし、新宿の個室ビデオでタモリさんとぎゅうぎゅうに隣り合って撮影したこともありました。広々しているところだと空耳が拡散されるというか、あまりアウトドア向きではなかったですね」

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