【37歳夫の告白】18歳年上の妻と出会ったのは小学4年生の頃、絵画教室を開いていた彼女が抱えていた”重大な問題”

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 年上女性が好きな男性もいれば、好きになった女性がたまたま年上だっただけという男性もいる。いずれにしても、「相手が年齢を気にしなければ、いい関係が築ける」と思ってる。つまり年齢など関係ないと思っているのだ。

 ところが女性にとっては、最初は気にしていなくても結婚後に不安を感じるケースは多々ある。自分がどんどん年齢を重ねていくのに、夫は男盛りを迎えていくのだ。年齢より若く見える女性が多くなったとはいえ、実年齢に心身は逆らいきれない。そんな妻を見つめている夫に変化が訪れたら……。

「今も僕が心から信頼しているのは、妻だけなんですけどね」

 宮内謙佑さん(37歳・仮名=以下同)はため息をつきながらそう言った。彼と知り合ったのは数年前。自分の人生は変わっているかもしれないと連絡をもらい、ときおり会ったりメールのやりとりをしたりしてきた。確かにこの数年だけでも激変を重ねている。

 彼は10歳のときから通っていた絵画教室の先生である保菜美さんと、20歳のときに結婚した。妻は38歳だった。そう、保菜美さんは謙佑さんより18歳年上なのだ。

「保菜美は実家の近所で絵画教室をやっていました。僕は絵が好きでそこへ行ったというより、“保菜美先生”と近づきたくて通い始めたんです」

 謙佑さんの実家は、父がサラリーマン、母が地元ではそこそこ有名な会社を経営していた。母の祖父が創業した会社だったから、謙佑さんの父もそこで働いてもよさそうなものだが、母は「お父さんには無理。うちは少数精鋭で仕事をしているから」と公言していた。

「父はいつも母にバカにされ、母の一族からも下に見られていた。どうしてあんな生活に甘んじていたのかわからないんですけどね。その鬱憤がたまると僕に当たった。僕は子どものころからおとなしくてマイペースだったせいで、母からはいつも『うすのろ』と呼ばれていました」

絵画教室でも先生の姿ばかり描く

 年子の妹が利発だったため、母は彼女を溺愛した。謙佑さんは家の中でもひとりきりでいることが多かったという。遠縁の“おばちゃん”がお手伝いさんとして家事を取り仕切り、彼女だけが謙佑さんの味方だった。そんな彼が、近所で見かけたのが「絵画教室」の看板だ。絵を習うと考えるとワクワクした。そのとき、目の前のドアが開いて顔を出したのが保菜美さんだった。

「どうしたの? と言われて、絵を習いたいと言いました。『じゃあ、お父さんかお母さんと一緒に一度来て』と。『父も母もいません。でも習いたいんです』ととっさに嘘をつきました。彼女が困った顔をしたので、僕はそのまま逃げるように帰りましたが、ドキドキしてどうしようもなかった。先生がきれいだったし、優しそうだったから、この人のそばにいたいと思った。それで、うちのおばちゃんに言って、母に了解をとってもらいました」

 習いに行ったものの、彼はいつも保菜美先生の姿を描いていた。たまには風景とか果物とか描いてみたらと促されても、先生の絵を描き続けた。

「その後、中学受験のための塾に行かされて、絵画教室はやめろと言われたんですが、絵をやめるなら受験はしないと言い張りました。結局、受験は落ちて母は激怒。『やっぱりあんたはお父さんに似てぼんくらだわ』と罵声を浴びせられて、絵画教室も辞めさせられました」

 地元の中学に行ったが、おもしろいことは何もない。悪い同級生とつるんで万引きをし、警察に補導されたこともある。親への反発だろうと母親に言われたが、彼は反発する気力もなかった。ただ、退屈な日常に刺激がほしかっただけだ。

「しょうもない中学生だったと思います。ただ、母としてはあまりに世間体が悪かったんでしょう。クラブ活動もしていないし、暇だから悪いのとつるむんだと言って、絵画教室へ行けと言われました。やめさせられたり行けと言われたり。大人って勝手ですよね」

 中学2年のときに、また絵を習い始めた。保菜美先生は、以前よりきれいになっていた。当時、彼女は結婚したばかりだったのだ。

「嫉妬の感情を初めて味わいました。それでもだんだん絵を描くことそのものも楽しくなってきたので、教室には行き続けた。ときどき、保菜美先生の夫が迎えに来ることがあるんです。背の高いイケメンだった」

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