兵庫・コーンロウ問題で茂木健一郎氏は「クソみたいな教師」「恥を知れ」…筑波大教授が指摘する“問題の本質”とは

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本質的な議論が必要

 泥棒の被害者に共感することはチンパンジーでもできるかもしれない。だが、「泥棒の被害者はかわいそうだから、泥棒を罰するルールを作ろう」と考えるのは人間だけなのだ。

「トマセロの論考を校則に敷衍すると、教育現場で『校則ゼロ』はあり得るのかという問題に逢着します。卒業式の髪型は自由でもいいかもしれません。しかし、制服が義務づけられている学校において、勝手に私服で卒業式に出席しようとしたらどうなるのでしょうか。まして全裸で式に出ようとしたなら、誰もが全力で止めるでしょう」(同・太刀川氏)

 今、求められているのは校則について「考えること」だという。

「毎日新聞の報道を受け、何人もの専門家がネット上で意見を表明されました。しかし、『校則は無意味だ』、『校則は必要ない』という極端な見解も目立ったと言わざるを得ません。もともと日本には“錦の御旗”や“金科玉条”を絶対視し、異論を問答無用で排除するという傾向があり、今回の校則を巡る議論でも同じ傾向が頻発しています。今、求められているのは、性急な結論ではありません。『どうして校則が生まれたのか』、『校則は今後、どうあるべきか』、『多様性とは何なのか』といった本質的な議論であり、一方的に教師や学校を敵視することではないはずです」(同・太刀川氏)

デイリー新潮編集部

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