WBC 日本代表優勝で感じた師弟コンビの強運【柴田勲のセブンアイズ】

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日本の投手陣がNo.1

 ベスト4に進むチームはどこが優勝してもおかしくない。栗山監督はなにがなんでもメキシコ戦を突破して、決勝は総力戦で臨む覚悟だったと思う。先発の佐々木朗希(ロッテ)から日本を代表する山本由伸(オリックス)の継投に表れていた。

 決勝戦ではワンチームのこれ以上ない雰囲気に加え勢いがあった。1点を先制された直後の2回に気分的にも解放された村上が同点弾を放った。1死満塁からラーズ・ヌートバーの内野ゴロで勝ち越した。

 4回には岡本和真の今大会2本目の本塁打で加点した。左右の大砲のそろい踏みはさらにチームの勢いを加速させた。

 決勝戦は日本投手陣対アメリカのスター打線の対決だと予想していたが、2点に抑えるとは思わなかった。

 先発の今永昇太(DeNA)がトレイ・ターナーから一発を浴びたものの、戸郷翔征(巨人)、高橋宏斗(中日)、伊藤大海(日本ハム)、大勢(巨人)、ダルビッシュ有(パドレス)、最後に大谷にバトンを渡した小刻みな継投は圧巻だった。

 元々、日本の投手陣は質量ともに今大会No.1の評価だった。確かに他チームは頼りになる投手が4、5人いるが、あとの7、8人は力が落ちた布陣だった。

 それに引き換え、日本の投手陣は制球力に長けている。個々が自分の持ち味を発揮していた。警戒した結果はともかく、簡単に四球を出すような場面もなかった。落ちる球も有効だった。加えてダルビッシュ有という精神的な支柱もあった。

大谷のための大会

 大谷が「MVP」に選ばれた。当然の結果だ。打者として全7試合に出場して打率4割3分5厘で8打点、投げては3試合に登板(先発は2試合)し2勝1セーブで防御率1.86の成績を残した。

 160キロ台の速球を連発、右翼席の看板を直撃した特大本塁打があった。試合の流れを日本に引き寄せるセーフティーバントがあった。

 先頭に立ってチームを鼓舞した。ヘルメットを投げ捨てて全力疾走した。塁上では派手なジェスチャーを見せた。今回リーダーシップを発揮できたのは、主力のほとんどが年下だったという点も大きい。私にも経験があるが、年上が多いとどうしても遠慮がちになる。今大会は自らチームに積極的に溶け込んでいった。ナインにも受け入れられてチーム一丸となる素地ができた。

 印象的なシーンが次々と浮かぶ。まさに大谷のための大会だった。

 日本中が2023年のWBCに注目した。テレビの視聴率も驚異的な数字をはじき出した。日本中の関心を奪った。30日からはNPBが開幕する。日本代表の世界一奪還が今年のプロ野球の人気に弾みをつけてくれそうな気がする。

 最後にもう一度、日本代表におめでとうの言葉を贈りたい。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部

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