還暦を越えて保育士に、漁師やタクシー運転手も 元プロ野球選手が語る“意外過ぎる”第二の人生に迫る

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還暦を越えて保育士デビュー

 子どもに野球を教えた経験から保育士に転身した元首位打者もいる。正田の元同僚、高沢秀昭(64)だ。

「子どもたちから“じいじ”と呼ばれているんですよ(笑)。1歳児の担当なんですが、毎日楽しいです」

 昨年4月に保育士デビューを果たしたばかりだが、出だしからつまずいたという。

「6月に腰を痛めましてね。椎間板ヘルニアでした。早く職場に復帰したかったので手術したところ、9月に現場に戻れたんですが、選手時代を思い出しました。よくケガしていたので」

 高沢は苫小牧工業から王子製紙苫小牧を経て、79年、ロッテからドラフト2位指名を受け入団。1年目は春の1軍キャンプで無理してケガ、翌年もまたキャンプ中に肩をケガして半年離脱した。

 しかし83年から外野手として1軍に定着し、84、87、88年と3回ゴールデングラブを受賞、88年には首位打者を獲得した。

野球の面白さを知ってもらう

 一時広島に移籍したが、ロッテに戻り92年に引退。その後、ロッテで17年間コーチを務めた。

「あの頃日本のコーチは、弱点を克服して全体のレベルを上げるという考え方をしがちでしたが、当時のバレンタイン監督はそんなことをすると長所も駄目になると、長所に磨きをかけてくれと指示されました」

 2軍コーチを任されることが多く、福浦和也、西岡剛、今江敏晃といった若手有望株を1軍に送り出した。

 コーチの経験が評価され、10年から、ロッテ傘下のマリーンズ・ベースボールアカデミーのテクニカルコーチに就任した。ただ、ここでの相手はプロではなく子ども。目的も野球の面白さを知ってもらうことに重きを置いていた。

「キャッチボールをできない子がいて、その子がグローブをたまたま動かした場所にボールが来て、ナイスキャッチ!ということがあったんです。褒めるとホントにうれしそうでね。野球を好きになってくれる。そうなると自分もすごく気持ちが上がりました」

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