還暦を越えて保育士に、漁師やタクシー運転手も 元プロ野球選手が語る“意外過ぎる”第二の人生に迫る

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夜中12時に起きる漁師生活

 それ以降も1軍で起用され、巨人の上原浩治から初ヒットを打つなど見せ場はつくったが、02年に監督が山田久志に交代。谷繁元信捕手がFAで加入し、出番はなかなか巡ってこなかった。05年に戦力外となる。26歳。まだできると思いトライアウトを受けるが、不合格となった。

「あまり迷わず故郷で漁師になろうと思いました。祖父も父も漁師なので抵抗はなかったですね」

 父親はメバルやイカなどの一本釣りをしていた。手伝っても給料が出ないので、底引き網漁船の船員になった。起きるのは夜中12時。60キロぐらい離れた海に15トンの船を走らせ、網を垂らして約6回、引き揚げる。

給料は3分の1以下で

 日本海では高級魚のノドグロなどがよく取れた。それを船員5、6人で仕分けて夕方5時に帰港。公休日の土曜と海が荒れた日以外、それが来る日も来る日も続く。

「疲れましたけど慣れたらそうでもないです。豊漁だと手応えもあるし。野球のほうがしんどいですよ」

 仕事を始めた頃には、“おぉ、プロ野球”などとからかわれてムッとしたこともあったが、長く続けるうちに言われなくなった。

 底引き網漁船を8年経験した後、集魚灯をつけてイカ釣りなどを行う巻き網漁船の船員に転籍。ただ年を追うごとに不安が募った。

「地球温暖化の影響か、年々漁獲高が減っているんです。しかも経費は高くなっているのに魚は安いまま。給料は野球選手時代の3分の1以下で、3人の子どもを育てなきゃいけないのでやりくりが大変なんですよ」

 そんなことを考えている時、母校の野球部元監督から「チームを立て直してくれ」とコーチの打診があった。部員数17人。夏の県予選では10年以上、ベスト8に進めていないという。恩返しのつもりで快諾。昨年春からコーチを始めた。

「16年ぶりに握った硬球は重かったですね。こんなの投げていたのかって。でも慣れてくると、まだ試合に出られるかもとか思いました(笑)」

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