僧侶、年商170億円の社長、現場監督も… 元プロ野球選手たちが語る驚きのセカンドキャリア

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10円でも安い缶コーヒーを探して

 2019年に契約社員を経て社員になり、その頃から野球に再び関わり始めた。現場のない日に、社会人チーム「京都ジャスティス」の投手コーチを務めている。

 また昨年春からは「ハイサイ! マイクチャンネル」でYouTube配信を始めた。川藤幸三、亀山つとむ、高橋慶彦をゲストに迎えてホンネトークを展開。今後は街に出て、野球や阪神に関するレポートもするという。

 選手時代の年俸は最高8千万円。当時は財布にいつも30万円が入っていた。でも今は10円でも安い缶コーヒーを探して買う。財布の中身は変わったが、変わらないことがある。

「逃げない、そして自分ができることを精いっぱいやることです。野球選手の時代を振り返ったら、思うに任せないことが多くて、我慢、我慢の連続でした。その我慢強さが引退後の人生に生きているのかな。いろんな悔しい思いをして、それをバネにしたのかもしれない。分からないですね、人生何がプラスになるか」

なぜ営業マンに?

 同じ左腕で、一般企業の営業マンへと転身したのは中日の元エース野口茂樹(48)だ。

 野口は愛媛県立丹原高校から92年ドラフト3位で中日に入団。96年、巨人戦で達成したノーヒットノーランは鮮烈だった。98年には最優秀防御率、翌99年にはリーグ制覇に貢献しMVPのタイトルに輝く。

 そんなキャリアの持ち主が、取材の場には勤務先の社名が入ったユニフォームを着て現れた。社名はカミヤ電機。愛知県東部、西尾市にある会社だ。仕事内容を聞くと、

「工場などに足を運んで電気関係の設備の工事をいただくのです。見積書を出して、了解が得られたら、工事を行う職人さんや協力会社さんにお願いします」

 それにしてもどんな経緯で営業マンになったのか。

 聞けば、FA宣言して07年に移籍した巨人を、2年後に戦力外になった後の3年間は、現役を続ける可能性を探っていたという。

 09年2月に、メジャーリーグ・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶが、メディカルチェックで肘の異常が見つかり契約は破棄に。

「ただ、投げずに引退するのも嫌だなと思って肘を2回手術しました。最後の悪あがきというか、悔いを残したくなかったんですよ」

 トレーナーを雇い、公園の片隅や空いているグラウンドを借りて練習やリハビリに励んだ。痛みで投げられず、心が折れそうになったことも。医療費などは蓄えを取り崩したが、収入がないので、バイトをした。

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