“フィリピン初の地下アイドル”から“谷間チラリで配信BAN” 五十嵐早香、グラビア解禁までの波乱の道のり

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「MNL(マニラ)48」に落ちて…

――賭けに勝ったわけですね(笑)。五十嵐さんの経歴で面白いのはフィリピンに12歳から住んでいて、現地でアイドル活動もされているところです。そもそもなぜフィリピンに?

 お父さんの夢だったんですよ。脱サラして外国にいくのが。お父さんは不動産業をしていて、最初は1部屋、2部屋から始め、それを大きくしていって。それだけで成り立つぐらい稼げるようになったからフィリピンに行った感じです。小学校を卒業したころです。

――そのぐらいの年齢だと、五十嵐さん本人的にはフィリピン行きは...。

 行きたくなかったですよ。向こうに行って毎日泣いてました。帰りたいって(苦笑)。向こうではインターナショナルスクールに通ってました。今も英語はしゃべれますけど、使わないと言葉が出づらくなりますね。

――フィリピンではどのあたりに住んでいたんですか?

 バギオというところです。観光地なんですけど、標高1,500メートルで、フィリピンで一番寒いところです。フィリピンなのにイチゴが採れるくらい。雲の上にあって、半年間は雨季。1週間一度も太陽を見ないこともあります(笑)。日本でいうと軽井沢みたいな感じです。

――わざわざフィリピンで寒い場所に(笑)。アイドル活動はどういった経緯で始めたんですか?

 まず、フィリピンに行ってからコスプレに目覚めたんですよ。日本人だと学校で「アニメ、アニメ」と言われて、せっかくだから見てみようとなったらどハマりしました。最初に見たのは「とらドラ!」でした。その流れでアニメのイベントに行くようになって、コスプレイヤーさんに憧れるようになり、私もやってみたいと思って、13歳からコスプレを始めました。

 そんな時にMNL48というグループがフィリピンで結成されることになったんです。

――フィリピン・マニラで活動するAKB48グループの一つですね。

 そうです。周りの子からも「受けてみなよ」と言われて軽い気持ちで受けたんです。投票制だったんですけど、順位的には一次審査は通過しているはずなのに、大人の事情で呼ばれなくて、他の子に入れ替わってたんです(苦笑)。フィリピンってそういうところがあって。

 この野郎!という悔しい気持ちを持っていたら、同じような子が結構いたみたいで、その子たちと一緒にフィリピンで初めての地下アイドルグループを作りました。7人組のグループで「アイドル素材」っていいます。そのグループは今も活動していて、当時のメンバーが3人います。今でも連絡を取っていますよ。

――フィリピン初の地下アイドル!SKE48の前にアイドルもやっていたんですね。メンバーはフィリピンの子ですか。

 そうです。私以外はマニラに住んでいたので、私は首都のマニラまでバスで6時間かけて通ってました(笑)。

 日本みたいなバスじゃないですよ。月曜日から金曜日まで学校に行った後、金曜に学校が終わったらボロボロのバスに乗ってマニラに向かってました。朝、マニラに着いたらバス停で顔を洗ってグループの子に会って、練習をして、その日は友達の女の子の家に泊まって、次の日も練習した後に夜、バスに乗ってまた6時間かけて月曜日の早朝バギオに着いて、その足で学校に行ってました。それを15歳から17歳くらいまでやってましたね。

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