不倫相手との「墓」を買った50歳夫に妻が激昂 「あんたの工場なんか簡単に潰せる」の決定的修羅場

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結婚するも「私を嫁だとは思わないでほしい」

 ふたりは実家近くに家を借りて住み始めた。秀一さんは朝から晩まで仕事を体にたたき込むように学びながら働いた。ユリさんは仕事の全体像を見たいと言って、帳簿を見たり工場へ来てはじっと考え込んだりしていた。のちに、「あの時期は仕事を広げていくことをひたすら考えていた」と明かしたそうだ。

「僕が工場を継ぎ、ユリはオブザーバー的な役割でしたね。彼女、留学先でも経営学などを学んだらしくて。ただ、当時の僕にはそんな余裕はなかったから、とりあえず仕事を覚えるから、それが落ち着いてからユリの出番があると思うと伝えていました。妙な生活でしたよ。僕は実家で食事をして帰る。ユリは自分で作ったり外食したりしていたみたい。僕は彼女を失いたくないから、言いなりでした」

 3年経ち、まだ不安もあったが、対外的にはようやく会社の代表と自ら名乗れるようになった。そうなると、ユリさんと正式に結婚していないことが気になった。ちゃんと結婚しようと言うと、ユリさんも了承。30歳を越えて晴れて結婚した。

「ただし、私を嫁だとは思わないでほしいから、婚姻届を出したことはまだ誰にも言わないでと言われました。そのころは祖父母ともに弱って施設に入っていましたから、家には母親だけ。でもユリは実家には入りたくないと言う。母のために近所の人から子犬を譲り受けました。母は誰かの世話をしているのが性に合っていると思ったから」

 孤独だった子ども時代を犬に救われてた彼ならではの心理なのかもしれないが、確かに母は子犬の世話をすることで、ユリさんについて文句を言うこともなく、生き生きとしていたという。

父の愛人からの相談

 それからしばらくたったころ、遅くまで仕事をした彼が、実家に寄らずに帰宅しようとすると、工場の陰に女性が立っていた。

「秀一さん?」

 そう言われて見ると、どこかで見たことがあるような気がした。その女性こそが、父の愛人だった。

「彼女が工場で働いているところを思い出しました。それほど親しく話したことはないけど、何度か言葉を交わしたことはある。彼女は『美香子です、ごぶさたしてます』と微笑みました。父のお通夜にも葬式にも姿を見せなかったことを詫びていましたが、もちろん、こちらとしては現れないでくれたことがありがたかったし、お詫びしなければいけないのはこっちだからと言いました。彼女は『折り入ってお願いがある』というので工場の事務所で話しました。父が亡くなってから、母は当然、彼女に生活費なども渡さず、財産分与もしていなかった。しかも子どもも認知していなかったという。美香子さんは必死に働いたけど、体を壊して今は非常に苦しい思いをしている、せめて子どものために何とかならないかという話でした。彼女、僕より5歳年上だから、当時、40歳手前。子どもが小学校に入るのだけれど経済的に苦しくて準備ができないと泣いていました」

 そのままにするわけにはいかなかった。母も祖父母も、父が亡くなったとき美香子さんに思いがいかなかったのだろうか。冷たいなあ、うちの一家はと思わずつぶやくと、美香子さんは「私がいけないんです。奥様にはつらい思いをさせてしまって」と涙をこぼした。

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