「ボキャブラ天国」でブレイク寸前だったのに…イケメン芸人が明かす「お笑いモンスターの中に一般人がいたようなものでした」

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「解散に関しては、今も僕が100%悪いと思っています」

「テルは悪くないんです。テルはのんびりとした考え方で、“やってればチャンス来るんじゃないか”というタイプ。でも、僕は危機感やモンスター達に負けたくない気持ちがあって、自分の考えをテルに押しつけようとしたんですね。拒否されて、僕ばかり焦っちゃって、芸能生活2度目の頭が“バーン”です。そこからもう、どーよのネタは作りたくない、相方と口もききたくないってなっちゃったんです。険悪な状態でどーよとしての仕事もやってましたから、スタッフさんは嫌な気分だったでしょうし、そりゃ、そんな奴らの仕事が増えるわけないですね」

 デ・ニーロものまねがウケていたことに嫉妬した?

「全否定したら“そんなわけないだろう”って言われそうですが、そうじゃないとはっきり言います。テルが『ガキ使』の特番に出た時は誰よりも嬉しかったですし、テル以外では僕が最もあのものまねを大事に考えていたと思います。友達だったからテルの性格はよく知っていて、彼は怠けちゃうところがあったから、口うるさい奥さんのつもりで尻を叩いていました。それがうるさかったかもしれません」

 どーよ末期のことを思い出しながら、ケンキは悲しそうにこう語った。

「解散に関しては、今も僕が100%悪いと思っています。僕も若かったから言い方もきつかったし、機嫌で色々言ってたことも確かにあったと思います。僕とテルって、本当に仲が良くて、親友だったんです。解散して相方を失ったというより、大切な親友を失った寂しさがありました」

 とはいえ、ケンキはテルの移住後に佐野市に遊びに行っている。

「僕が佐野市に行く何年も前、うちのおふくろが死んだ時に、あいつ優しいから慰めのメールをくれたんですよ。それが45歳の時で、テルが移住したのが48歳の時。解散が40歳だったから、お互いにもういいやと思えたんじゃないですかね。でも、やっぱり昔と同じには戻れないです。一度、深刻な大喧嘩をしてしまいましたから。楽しかったし、一番信頼していたあの頃と同じには、戻れないですね」

 ところで、甲府市での生活はどう?

「最高ですね。本当に食べ物は美味しいし、近所の方も優しくて、野菜を玄関に置いといてくれるんです。公園がいっぱいあるし、夏に遊び行くところもたくさんあって、車ですぐ行ける。ショッピングセンターも山ほどある。待機児童はいない。カミさんも “こっちで子供を育てられて良かったね”って喜んでいます。来年、すぐ近くの南アルプス市にコストコができるし、生活面での不自由は全くないです」

 一度は引退を決意していたが、この先は?

「僕の勝手な思いですけど、60 歳まで『スゴろく』を続けられたらと思っています。“スゴロク”だけに、そこで上がりです。その後は週に1回ぐらいテレビに出られたら」

 元相方のテルと同様、ケンキも東京を離れて幸せな生活を見つけていた。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。2022年からフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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