「ボキャブラ天国」でブレイク寸前だったのに…イケメン芸人が明かす「お笑いモンスターの中に一般人がいたようなものでした」

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「101回目のプロポーズ」に出演

 次に所属した事務所では、ルックスの良さを買われ、大ヒットしたトレンディドラマ「101回目のプロポーズ」(1991年)に本名で出演している。

「他にも、宮沢りえさんのドラマにちょい役で出たり、トレンディドラマにけっこう出ていました。でも、僕は芸人としてやっていきたかったので、社長に直談判したんです。“お笑いをやらせて欲しい”って。社長も“お前はお笑いの血が流れているから、役者だけは無理だな。好きにやれ”と言ってくれ、相方を探しました。当時、僕が出ていたイベントのスタッフから“友達に面白いやつがいる”と紹介してもらったのがテルです」

 実はテルを紹介したスタッフは、テルの同級生で、テルをお笑いの世界に引っ張った張本人だった。しかし、お笑いは早々に諦めてイベント会社に就職していた。

「六本木のアマンドの前で初めてテルと会って、そのままキャバクラに行って、そこでテルの“デ・ニーロ芸”を初めて見ました。それから友達になってよく遊ぶように。コンビを組んだのは少し後です」

 2人は1996年に「どーよ」を結成。最初は3人組だったが、もう一人は「遅刻が多いので、やめてもらいました」。

 コンビを組んだものの、お笑い芸人の事務所ではなかったので、事務所としてのお笑いライブはない。2人がパフォーマンス場所として選んだのは、1998年6月まで存在した原宿の歩行者天国だった。

「僕らの横でロンドンブーツ1号2号がやってました。ロンブーはいつも客がめちゃめちゃ集まっていましたよ。一度、淳君が僕らの横に座って見ていてくれたことがあったんです。その時、淳君がマネージャーさんに“あの人、デキるな”と言ってくれたと間接的に聞いて、あれは嬉しかったな」

 歩行者天国で腕を磨いた2人は、大人気だった「ボキャブラ天国」シリーズにも出演している。

「海砂利水魚(現・くりーむしちゅー)やU-turn、アンタッチャブル、Take2と出演を競ってバチバチやっていました。今回はいける!と思ったら“だっちゅーの”のパイレーツに負けて、後々まで恨んでました(笑)」

 その後、サンミュージックに所属し、「雷波少年」「進ぬ!電波少年」などに出演。2002年に大ヒットした魚食普及キャンペーンソング「おさかな天国」のプロモーションビデオに、ケンキはお兄さん役で出演し、関連イベントにも出演していた。

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