ピーター・バラカンが語る「高橋幸宏さん」 忘れられない81年「ロンドンレコーディング」、YMOの「CUE」をなぜ好きだったか

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 1981年4月、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の4枚目シングル「CUE(キュー)」が発売された。アルバム「BGM」(81年3月)からのシングルカットで、クレジットは作詞・作曲が《高橋幸宏、細野晴臣》、訳詞が《ピーター・バラカン》となっている。(全2回目の2回目)

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 YMOは1983年に「散開」したが、その後、高橋幸宏さん(享年70)は、ソロやMETAFIVE(註1)のライブで、「CUE」をラスト近くやアンコールで歌うことが多かった。

 訳詞を担当したピーター・バラカンさん(71)は「確かに『CUE』や『SOMETHING IN THE AIR』(註2)を最後のほうで歌っていました。あの2曲は僕も特別に好きですね」と言う。

「幸宏は“袋小路”という言葉にこだわりがあったようで、『BGM』の制作時もそうでした。フランス語で“袋小路”は“cul-de-sac(キュル・ドゥ・サク)”と表現し、『CUE』の歌詞に出てきます。“cue”という英単語は『ラジオ番組でディレクターがキューを振る』というように“合図”の意味ですね。歌詞について『袋小路から逃げ出すための合図を送ってほしい』、『どん詰まりから逃げ出したい』というようなイメージを語っていた記憶があります」

 ちなみに、高橋さんが81年に結成した音楽ユニット「THE BEATNIKS(ザ・ビートニクス)」(註3)のファーストシングル「No Way Out(ノー・ウェイ・アウト)」(81年12月)の歌詞にも「cul de sac」と「fukurokoji」という言葉が使われた。この曲の作詞にもバラカンさんの名前がクレジットされている。

「お前がやれ」

 バラカンさんは1951年8月、イギリスのロンドンに生まれた。ロンドン大学で日本語を学び、卒業後はレコード販売のチェーン店に就職。音楽業界紙で現在のシンコーミュージック・エンタテイメント(註4)が求人広告を出していたのを偶然見つけて応募。採用が決まって74年に来日した。

 同社には6年間勤務したが、坂本龍一さん(71)のアルバム「B-2 Unit(ビーツー・ユニット)」(80年9月)に収録された「Thatness and Thereness(ザットネス・アンド・ゼアネス)」の歌詞制作に協力したことが縁となり、YMOの3人が所属していた「ヨロシタミュージック」に移った。

「YMOはデビューアルバムから4枚目の『増殖(X∞MULTIPLIES)』(80年6月)まで、イギリス人で詩人のクリス・モズデル(註5)という人が歌詞を書いていました。ところが僕がヨロシタに入社する頃から、3人とも『自分たちで歌詞を作りたい』という気持ちが出てきたんですね。ただ、彼らは日本語でしか歌詞が書けない。彼らのアイディアを英語に置き換えることができる人間が必要だったわけです。そんな時に僕が社員となり、『ちょうどいい、お前がやれ』と言われてしまいました。しかし僕は、作詞をしようと思ったことなど一度もなく、会社が権利を持っている楽曲の海外展開を担当するために入社したのです」

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