岸田首相と長男秘書官は「特権階級」なのか――父子に欠けている「真の貴族精神」を考える

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「育休中の学び直し支援」というトンチンカンな政策を打ち出す岸田首相、そして公用車でパリ・ロンドン観光を楽しむ長男秘書官――代々政治家を輩出してきた名家の出身ゆえに、庶民の暮らしや気持ちに鈍感なのだろうか。あたかも「特権階級」のような振る舞いを見せる岸田父子に、国民の批判が集まっている。

 イギリス史の第一人者で、関東学院大学教授の君塚直隆さんは、「世襲政治家の存在自体を否定するつもりはありませんが、代々政治家を務める一族であれば《ノブレス・オブリージュ》の精神、すなわち《高貴なるものの責務》を担う覚悟が必要ではないか」と語る。
 
 君塚さんの著書『貴族とは何か――ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)から、エリート層が身につけるべき「真の貴族精神」について考えさせられる一節を再編集してお届けする。

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 現代の日本人にとって「貴族」という言葉は何を連想させるのだろうか。多くの人が脳裏に思い浮かべるのは、数々の特権を振りかざし、「平民」たちを犠牲にして、果ては歴史の闇へと消えていった姿かもしれない。

 そのような否定的な貴族のイメージは、近年のわが国での造語からも窺える。たとえば、家族を養わずに気楽で豪奢(ごうしゃ)な生活を謳歌する「独身貴族」。もとは社会の変革を掲げていながら、労働組合活動などで安定的な地位を築き上げるや、一般の労働者より不当に高い賃金や特権的な待遇を得ている「労働貴族」もしくは「組合貴族」。そして2021年に東京オリンピックが開催された際に、法外な厚遇を受け続けたとして多くの国民から非難を浴びた「五輪貴族」など、いずれも鋭い批判を含んでいるものといえよう。

 確かに、歴史上「貴族」と呼ばれた人々には「特権」が伴われていた。それは免税特権に代表される財政上の権利に始まり、司法や奉仕義務、政治参加、名誉などあらゆる種類に及んでいた。しかしこうした「特権」には、近年これも日本に現れた新造語ともいうべき「上級国民」といわれる人々が謳歌しているのとは異なり、必ず「責務」も伴っていたのだ。貴族には無私の責務が求められ、彼らは人々に対して「徳」を示す存在でなければならなかった。

高貴なるものの責務

 そこで生まれたのが「高貴なるものの責務(Noblesse oblige)」という言葉である。

「ノブレス・オブリージュ」といえば、近年ではカタカナの日本語にも定着しているほどに、日本にも浸透している言葉であろう。貴族などに代表される高貴な身分のものには、社会全体に対して果たさなければならない責務が伴うという意味である。それは戦乱の世では軍務であろうし、平和の時代には国や州(現代の日本では都道府県)、さらには市町村レベルにおいて人々の生活を豊かに快適にするための責務といえよう。

 こうした考え方は、はるか昔の古代や中世からすでにあったものではある。しかし、特に知られるようになったのは、フランスの貴族ド・レヴィ公爵(1764~1830)が1808年に著した『道徳と政治の異なる主題に関する格言、教訓、省察』のなかで「ノブレス・オブリージュ」の精神の重要性を説いてからである。
 
 1789年に勃発したフランス革命で王制や貴族制が廃止されたにもかかわらず、陸軍軍人のナポレオン・ボナパルトは革命戦争(1792~99年)のさなかに瞬く間に権力を掌握すると、1804年にフランス史上初の「皇帝」に選ばれ、ナポレオン1世(在位1804~14、15年)となった。
 
 それから4年後の1808年3月、皇帝令によってフランスに再び「貴族」が登場した。それは、大公、公爵、伯爵、男爵、勲爵士の五等爵からなる、新たな「帝国貴族」であった。ナポレオン軍を支えた元帥や将軍たちは、ブルボン王朝時代の宮廷さながらに、きらびやかな大礼服に勲章を着け、第一帝政の宮廷社会が始まったのである。

 革命によって一時は姿を消した「貴族」が再び登場してきたが、その大半は成り上がり者だった。そこで古来の貴族のあり方について、革命以前から由緒ある「公爵」に叙せられていたド・レヴィがあらためて訓戒を垂れる必要が生じ、この「ノブレス・オブリージュ」の定義に結実したわけである。

 しかし、皮肉なことに、もはやフランスには真の貴族などほとんど存在しなかった。結局、紆余曲折を経て1871年から第三共和政が始まり、これ以降、フランスでは貴族が政治的に復活することは二度となかったのである。

※君塚直隆『貴族とは何か――ノブレス・オブリージュの光と影』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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