草野球から“奇跡の復活”、「元ドラ1」野中徹博が歩んだ「不屈の野球人生」

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甲子園では球史に残る投手戦

 昨オフも12球団で計129人が戦力外通告を受けた。近年は独立リーグなどでプレーを続け、NPB復帰をはたした例もあるが、それほど多くはない。そんな厳しい実力社会において、1度は現役を引退しながら、5年後にNPB復帰をはたし、通算10年目で初勝利を挙げた“不屈の男”がいる。【久保田龍雄/ライター】

 男の名は野中徹博。中京高(現・中京大中京)エース時代に春夏3度の甲子園に出場し、1982年は春夏ともにベスト4、翌83年夏は準々決勝の池田高戦で水野雄仁(元巨人)と球史に残る投手戦を繰り広げたことを覚えているファンも多いはずだ。

 だが、ドラフトでは、セ・リーグの球団を希望していたにもかかわらず、「知らない球団だった」という阪急に、高野光(元ヤクルトなど)の“外れ1位”で指名され、戸惑いを覚えたという。

 迷った末に入団し、背番号18を貰ったが、プロ1年目からいばらの道が続く。豪快に腕を振って投げ下ろすフォームをコーチに改造され、新しいフォームで投げつづけているうちに肩を壊してしまったのだ。

 2年目の1985年も肩をだましだまし投げ、プロ初先発のチャンスを貰った5月8日のロッテ戦で6回2死まで2失点と好投したが、同18日の西武戦では2回途中5失点KOされるなど、結果を出せず、6月に2軍落ちした。

「ドラフト1位」(沢宮優著、河出文庫)によると、そんな苦闘の日々を、本人は「ここで真っ直ぐでガーンと行ってみよう。そういう度胸が無くなってきた。怖いから逃げてしまうのです。オレの真っ直ぐを打ってみろ! と思えなくなって、コースを狙う。ボールになる。肩を壊しているから、速球も以前ほど速くない。マウンドという舞台に上がる前に、自分の精神的な弱さが出てしまった」と回想している。

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