門田博光さん逝去 昭和プロ野球の「サムライ」と呼ぶべき“信念”を貫き通した野球人生

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「野村監督」、「世界の王」から助言されるも……

 南海、オリックス、ダイエーの主砲として23年間にわたって活躍し、NPB歴代3位の通算567本塁打を記録した門田博光さんが、1月24日に他界した。享年74。野球選手としては170センチと小柄だった門田さんは「普通のことをやっていたんでは、歯が立たんわ」と、筋力トレーニングと猛練習で鍛え上げた“ポパイ”のような肉体で全打席フルスイングし、「ホームランの当たり損ねがヒット」と公言していた。【久保田龍雄/ライター】

 南海時代、当時プレーイングマネージャーだった野村克也監督は、アッパースイングでバットを振り回す門田さんに「上から叩かんか!」と何度も苦言を呈したが、聞く耳を持たない。

 そこで一計を案じ、巨人とのオープン戦の試合前に王貞治を呼んで、「ワンちゃんはいつもホームランを狙って打ってるの?」と尋ねた。すると、王は「とんでもない。ヒットの延長がホームランですよ」と答えた。

 だが、球界を代表する両キングが「ホームランはパワーではなくタイミング」と口を揃えたにもかかわらず、門田さんは納得せず、「監督はずるい。前もって王さんと打ち合わせしたんでしょ」と口を尖らせた。

“南海の3悪人”

 門田さんの代名詞ともいうべき、この頑固さは、プロ入り後、いずれも強烈な個性を持つ“職人集団”の中に放り込まれ、もぐら叩きのような新人潰しの“洗礼”を受けるうち、この世界で何とか生き残るために培われたものだという。

「2年目(1971年)やったかな。ある試合で打てんかったら、味方のピッチャーが『お前が打たんからオレの給料が上がらんのや』って目の前で言いよった。そんなごちゃごちゃした空気が続いて、1回、東京球場(ロッテ戦)でオレが切れて『お前らみんな敵じゃ!』ってベンチで怒鳴ったこともあった。そんな中でやってたら、誰でも頑固者になるんよ」(谷上史朗著「門田博光“19番”との再会」 「南海ホークスクロニクル」収録 スコラムック)

 試合前、野村監督に「体に悪いからコーラをがぶ飲むするな」と注意されると、「僕らは糖分がすごく必要ですから」と言い返すなど、ことごとに反発し、江本孟紀、江夏豊とともに“南海の3悪人”に挙げられた門田さんだったが、その一方で、長く現役を続けられたのは、プロ入りして最初に野村監督と出会えたお蔭だと認めていた。

 若手時代は、偶然、鏡に映った“左打者・野村”の打ち方をヒントに、自身の打撃に磨きをかけたこともあり、野球に対する考えは違っていても、心のどこかで通じ合う部分があった。

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