教育現場の著作物使用が問題視される理由 “著作権後進国”の行く末とは

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「文化軽視」の行く末

 先の植村氏は、きちんとした対価が支払われることで出版文化は支えられているのだと、続ける。

「塩野七生さんは『ローマ人の物語』全15巻が完結した際、“1巻目を読者が買ってくれたから、2巻目が書けた。2巻目を買ってくれる人がいたから3巻目が書け、15巻まで完成できました”と語っています。つまり、私たちが買うことでしか、良いコンテンツは生まれない。教育現場で豊かな教材が無償で使えるのも良いことだと思いますが、そのプロセスの中で見合った対価を払う仕組みが必要なのです」

 さらに、浅田氏は「文化軽視」が国の存亡にもかかわるとこう警鐘を鳴らす。

「日本の近代国家としての歴史は150年ほどしかありません。それでも欧米諸国に追いついてきたのは、国民一人ひとりに、文学を含めた広い領域の学問を学ぶ教養主義が、明治時代に根付いたからです。私はデジタル教科書導入に反対ですが、それは検索ばかりで、モノを考える力が衰退し、教養主義を脅かすと考えているからです」

 そして、我々が著作権への認識を改めることも重要だと説くのだ。

「著作権を保護することはすなわち、教養主義の根幹をなす多様な文化を支え、ひいては、国家を支えることにつながるのです」(同)

 教育の現場のみならず、安易に著作権を踏みにじっていけば、国力を細らせていくことになりかねないのである。

週刊新潮 2022年12月1日号掲載

特集「教育現場の著作物使用が問題視される理由とは…法改正しても不十分『著作権』をないがしろにする文化庁の文化軽視」より

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