独白・アントニオ猪木さん 「私の師匠・力道山が北朝鮮からの帰国船で新潟に来た娘・金英淑と対面した日」

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張成沢との交流

 とはいえ、「平和の祭典」をきっかけに、毎年のように訪朝することになった私ですが、担当者との対話が遅々として進まないと感じたこともありました。

 最初の訪朝から間もない頃は、要人との面会をセッティングされても、冒頭の30分近くは一方的な演説を聞かされたものです。それこそ、朝鮮戦争で自分たちがいかに過酷な宿命を背負わされたか、という話を聞くところから始まる。会談が終わると、「答礼」と呼ばれる歓迎レセプションに出席して、酒を酌み交わしながら会話をするんです。それも私の外交手法なんですが、当然ながら、こちらの言い分もきちんと伝えるし、進展がなければ意味がありません。

 私が議員を離れていた頃、あまりにも手応えを感じられない時期が続きましてね。さすがに頭にきて、

「俺は遊びに来てるわけじゃねえんだぞ! 一日も早く日朝友好を実現させるために足を運んでるんだ!」

 とたんかを切ったこともあります。

 多少は効き目があったのでしょうね。その後、出迎えてくれるようになったのが張成沢(チャンソンテク)・元国防副委員長でした。

 当時、「北朝鮮のナンバー2」と呼ばれた大物ですよ。本来は私などを接遇するような立場ではないはずです。絶大な権力を握っていたのは間違いなく、私の前ではいつも元気な印象でした。私が日体大の代表団を連れて行った時は、北朝鮮のチームとサッカーの試合をしているのを感激した様子で見入っていた。ただ、ご承知の通り、彼は2013年12月に処刑されてしまいます。その1カ月前に会ったんですが、いやに神妙な顔つきをしていました。すでに何かを感じ取っていたのかもしれません。

 いま最大の課題は、戦争を回避するために、どう北朝鮮と付き合っていくのかということに尽きます。

 北朝鮮は当初、アメリカのトランプ大統領に期待を寄せていたと思うんですね。オバマ政権は、北朝鮮が非核化の意思を示さない限り交渉に応じない「戦略的忍耐」と称した方針を貫きました。これでは北朝鮮としては手も足も出ない。そこにトランプ大統領が誕生して、オバマ政権よりはマシになるかもしれないと感じたのは間違いないと思います。ところが、ことは思惑通りに進まなかった。プロレスどころか子どものけんかに終始して、こっちが拳を振りかざせば、あっちも拳を振り回して収拾がつかなくなっている。表面的にはお互いに拳を下ろすきっかけを逸してしまった。本来、その間に入って仲裁するのが日本の役目だと思います。でも、残念ながら、それだけの器量がいまの日本にはありません。

 日本人は政治家も含めて国連中心主義というか、錦の御旗として国連を崇め奉る風潮がある。もちろん、信頼するのは構わないが、もう一度、国連の在り方を見直した方がいいと思う。

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