独白・アントニオ猪木さん 「私の師匠・力道山が北朝鮮からの帰国船で新潟に来た娘・金英淑と対面した日」

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なぜ私を使わないのか

 このまま経済制裁を続けたところで、北朝鮮は絶対にギブアップしません。その点は日本の考え方が甘い。いまは話し合いは二の次で、圧力に次ぐ圧力じゃないですか。そうではなく、交渉という選択肢を常に残しておくべきなんです。

 自民党が下野していた頃、北朝鮮から帰国したばかりの私は、安倍晋三総理と食事をしたことがあります。その時に同じようなことを進言したら「我々は野党なので何もできないんです」という。なるほど、政治とはそういうものかと思ったんですが、それでは自民党が与党に返り咲いてどうなったか――。やはり制裁を強める以外の手段を講じられないわけです。

 北朝鮮が何を考えているのかという点についても検証が足りていません。

 2002年に小泉純一郎元総理が訪朝して、拉致被害者5人が帰国しました。北朝鮮はあくまでも「一時帰国」と主張していましたが、国内世論の盛り上がりも考慮して日本政府は北朝鮮に返さなかった。そのこと自体をとがめるつもりはありません。しかし、外交は約束事の積み重ねです。拉致被害者を日本に残すのなら、やはりきちんと事情を説明しなければならなかった。北朝鮮にしてみれば約束をほごにされたというしこりは残っていると思う。ただ単に北朝鮮を悪者にして議論を避けるのではなく、経緯をしっかり精査する必要があるはずです。

 少なくとも、拉致問題は日本と北朝鮮の二国間で交渉すべき問題です。それこそ、拉致議連は何をしているのかと思いますよ。青いバッジを着けていれば、地元の有権者は拉致問題の解決に関わっていると考えて票を入れてくれる。それでいいのか。もっと両国で人々が行き来し、話し合いをしなければ解決の糸口すらつかめません。選挙になると有権者に訴えますよね、「私は命を懸けて国家国民のために働きます」、と。本心からそう考えているのなら、やるべきことは他にあるはずです。パフォーマンスだけが達者で、危ない橋は渡らず、入閣することばかり考えている。私に言わせれば、そんな政治家は「大臣病」ですよ。

 政治家だけでなく、官僚も頼りない。イラクの人質解放の頃からそうだけど、外務省は私が煙たくて仕方がないと思いますよ。でも、こっちも必死なんです。

 お役所的なやり方では絶対に解決できない問題に取り組んでいるわけだから。 

 結局、日本ではこんなことを口にするのすらタブーになっています。私は袋叩きに遭っても構わないからハッキリと言いますけどね。個人的に思うのは、国家国民のためにバッジを着けて働いている政治家のなかに、なぜ私を使ってくれる人がないのか、ということ。それくらいの器がある人がいないんだね。

 北朝鮮は現在、162カ国と外交関係を持っていて国内には大使館もある。今回の訪朝で私は、「日朝の連絡事務所を開設しませんか」という提案もしています。過去には、平壌市内にスポーツ平和交流協会の事務所を構えたこともありましたが、制裁が厳しさを増して運転資金さえ払えず、現在は稼働していません。

 加えて、スポーツ外交を掲げる私が危惧しているのは、開催が来年に迫った平昌五輪です。平昌から南北国境まではわずか80キロという位置にある。ここに来てフランスは北朝鮮の情勢次第では選手団を派遣しないとまで言い出した。五輪の一部競技で、北朝鮮の馬息嶺スキー場を使用するというプランもありましたが、いまの状況では難しいとしかいえない。最悪の場合、開催自体が暗礁に乗り上げる危険性もあると思います。

 とまぁ、ここまで孤軍奮闘してきた私も74歳になりました。今年に入って兄と姉を心臓系の病気で亡くしまして。元気が売り物の私がこんなことを言ってちゃマズいと思うけど、まぁ、考えるところがあってね。10月21日に両国国技館で「生前葬」を開くことにしたんです。スポーツ外交の一環として、力道山師匠のひ孫も呼ぼうと思っていたんですが、これは実現しなかった。ただ、超高齢社会に突入するなかで、アントニオ猪木は古希を越えてもまだ厄介な問題と格闘している。私の戦う背中を見せられればいいな、と思っています。

アントニオ猪木
参議院議員。1943年、横浜生まれ。中学時代に一家でブラジルへ移住。力道山にスカウトされて帰国し、60年、プロレス界にデビュー。98年に現役を引退する。2013年の参院選に当選し、国政復帰を果たした。

デイリー新潮編集部

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