「松原千明さん」、「不倫は文化」騒動で愛娘とハワイに移住も、夫をかばった“ひと言”【2022年墓碑銘】

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 満ちては引く潮のように、新型コロナウイルスが流行の波を繰り返した2022年。今年も数多くの著名な役者、経営者、アーティストたちがこの世を去った。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の歓喜の瞬間はもちろん、困難に見舞われた時期まで余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた人生を改めて振り返ることで、故人をしのびたい。

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 女優の松原千明さんの生活は、4歳年上の夫、石田純一さんの不倫が1996年に発覚したことで激変する。モデルの長谷川理恵さんとの密会を「FOCUS」が報じたことで、自宅にまで取材が殺到したのだ。

 芸能レポーターの石川敏男さんは当時を振り返る。

「松原さんは“役者の妻ですから”と言って夫をかばい悪口も言わず、けなげでした。一方、石田さんは“道ならぬ恋から文化や芸術が生まれることがある”などと話したことが手短に“不倫は文化”というフレーズで広まり反感を買った」

 ちょうど長女すみれさんの小学校受験の時期と重なった。騒動が影響したのか不合格で公立小学校に入学した彼女は、「文化の子」といじめられる。松原さんは翌97年、娘とふたりでハワイに移り住む決心をした。

「松原さんは急いでハワイに渡った。マスコミに追いかけ回されるのに耐えられず、愛娘を守るためでした。石田さんは正直でいい奴です。でも、困らせた妻子より自分の気持ちの方を向いて動きすぎた」(石川さん)

夫を立てていた

 以来、事実上引退してハワイで暮らしていた松原さんが64歳で他界したことは、驚きとともに受け止められた。「女性セブン」が彼女の死を報じたのは11月16日。自宅で10月8日に亡くなり、死因は伝えられていないが、薬の過剰摂取の影響ではとみられている。

 訃報を受けて石田さんは取材に応じ、「薬とお酒とのマッチングがよくなかったようです」などと悲痛な表情で語り、「体や心に不調があったなら、自分は何ができただろう」と悔いた。

 58年、京都市生まれ。父親は脇役ながら時代劇の演技に定評があった原健策。母親は宝塚歌劇団に属していた乙女松子。地元の短期大学を卒業後、信用金庫などで働く。周囲に勧められて79年にカネボウ化粧品のキャンペーンガールに応募したところ、約2万5千人の中から見事に選ばれた。

 翌80年、コマーシャルで人気を博す。テレビドラマや映画「地震列島」で女優としてもデビュー。石田さんと82年に出会う。TBS系の東芝日曜劇場「大文字はもう秋」で恋人役で共演。自分の考えを持ち、優しい姿に触れ、一緒にいると安心するとほれ込んだ。

 芸能レポーターとして活躍した藤田恵子さんは言う。

「圧倒的な華やかさはなくても清楚な美人で重宝され、石田さんより格上でした。でも、必ず認められる日が来ると夫を立てていた」

 88年に結婚。離婚歴があって子供もいる石田さんをとがめなかった。同年、フジテレビのトレンディードラマ「抱きしめたい!」で石田さんが一躍スターとなると、派手になった交友関係に戸惑いながらも受け止めた。90年にすみれさんが誕生。

「彼女は芸能人特有のしたたかさを持ち合わせていませんでした。不倫は文化という言葉を逆に利用してしまう石田さんの感覚とは全く違いました」(藤田さん)

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