逃亡から3年「ゴーン」の家政婦は見た! ボロ靴下を縫って履いた「日産会長」の素顔

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「ゴーンさんが家政婦を募集しているんだけれど」

 外国人経営者の家政婦と聞けば、さぞかし語学に堪能な家事のプロフェッショナルと思うかもしれないが、けいこさんはそうではない。高校卒業後に語学留学の経験はあるものの、「カルロス」や家族とは、ほとんど片言の英語でコミュニケーションをとっていた。家政婦の経験もそれまでなかった。

 ゴーンの元で働くことになったきっかけを遡れば、2008年から2011年まで、けいこさんが日産で働いていたことにある。ただしこのときは派遣、のちに契約の事務アシスタント。最高経営責任者であるカルロス・ゴーンは雲の上のような存在で「握手をしたことが一度」あるだけだった。

 その距離を縮めたのは、日産を辞めた翌年にかかってきた、一本の電話だ。

「『ゴーンさんが家政婦を募集しているんだけれど』という誘いでした。契約社員だった頃に親しかった、中国人の若い社員がいたんです。すごく仕事ができる子なのですが、若いマネージャーたちとカルロスを交えてランチをする機会があり、そこで彼に気に入られたらしく、家政婦の募集を内々に行う相談をもちかけられたようなのです。『面接は明日なんだけど、これる?』と。その時私はパン屋さんやホテルフロントなどで働いていたのですが、掛け持ちに疲れていたこともあって、二つ返事で『いける!』と答えました」

 呼ばれて赴いたのは、当時、ゴーンが暮らしていた東京・港区麻布の超高級マンションの一室。家政婦の募集はもともと働いていたベテランの辞職に伴うもので、シーツ掛け、洗濯、アイロンがけなどの腕前をフィリピン人の前任者が審査した。

「わたしのほかにもう一人、そのフィリピンの方の後輩という候補がいて。『カルロスは日本人じゃない家政婦を希望している』とも聞いていたので、これは落ちるかなと思ったのですが……後日、電話があって『合格です』と。『アイロンがけが、けいこの方が上手かった』というのが決め手だそうです。前日の夜中まで、プロのアイロンがけのやりかたをYouTubeで学んでいた甲斐がありました」

 後日、あらためてゴーンと面談。時給2,000円の家政婦に晴れて採用された。

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