社内外の力を結集しクレーンで世界一を目指す――氏家俊明(タダノ代表取締役社長CEO)【佐藤優の頂上対決】

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独自路線、自力開発

佐藤 本社は香川県にあります。そこでクレーンを独自に開発、発展を遂げてきたそうですね。

氏家 香川県出身の創業者・多田野益雄は、まず北海道で溶接の事業を興しました。弊社では北海道へ旅立った1919年8月29日を創業の日と定めています。

佐藤 大正年間ですね。

氏家 そして戦後、香川に戻って多田野鉄工所を創立します。そこで1955年に日本初の油圧式トラッククレーンを開発するのです。

佐藤 どうしてクレーンだったのですか。

氏家 創業者の長男である2代目・多田野弘は海軍出身で、戦時中は戦闘機の修理をやっていたそうです。乗った船が何度も撃沈されて死線をさまよった方ですが、何とか帰還すると、自分が持っている溶接技術と油圧技術、それからエンジンの知識を使って何ができるかを考えた。それでクレーンに行き着いたんです。

佐藤 技術者として優れていただけでなく、先見の明もあった。

氏家 その後、車両搭載型クレーンを開発し、1970年にはこれも日本初となる15トン吊りのラフテレーンクレーンを誕生させます。そしてこれを皮切りに数々の種類のクレーン車を生み出していきました。

佐藤 氏家さんは創業一族以外から選ばれた初めての社長ですね。

氏家 昨年、6代目社長だった多田野宏一会長から引き継ぎました。

佐藤 以前は丸紅におられた。どんなお仕事をされてきたのですか。

氏家 ずっと建設機械を担当し、退社した時には、航空機、船舶、自動車、建設機械、その他の単体機械も含めた輸送機部門のCEOでした。

佐藤 やはり世界中を転々とされてきたのですか。

氏家 ええ、入社してすぐがアフリカでした。外務省にいらした佐藤さんはよくご存知のODA(政府開発援助)関係の仕事です。東アフリカのウガンダ、タンザニア、ケニア、それにエチオピアなどを回りました。ちょうどアフリカの飢餓を救えとミュージシャンが結集し「バンド・エイド」や「USA・フォー・アフリカ」がコンサートを行った頃ですね。

佐藤 アフリカの飢餓はセンセーショナルに報じられました。

氏家 だからアフリカに駐在するものとばかり思っていたら、ヨーロッパ駐在となり、オランダ、ドイツで働きました。オランダには丸紅のオフィスがなく、タダノの子会社の2階を借りていた。それが私とタダノの最初の接点になります。

佐藤 ご縁があったのですね。

氏家 そしてバブル後に帰国し、今度は中国の事業に関わり、その後アメリカのアトランタに5年、帰国してからは東南アジアを担当して、2002年から2010年くらいまでミャンマー、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどアジア各国を回っていました。

佐藤 まさに世界中で仕事をしてこられた。そうすると外務省とも頻繁にやりとりすることになりますね。

氏家 はい。ただ途中からODA関係は減り、ミャンマーなどでは、主に独自資本での事業立ち上げをやっていました。

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