敗れてなおMVPに輝いたオリバー・カーン なぜ遅咲きの彼が歴史的なGKになれたのか(小林信也)

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 2002年、日韓共催W杯。日本が初めて舞台となった大会で、鮮烈な印象を残した選手のひとりは、ドイツのゴールキーパー(GK)、オリバー・カーンだった。

 いかつい風貌、怖いほどの迫力。ドイツの守護神は、受け身でも守りでもなく、「攻撃の要」とさえ言いたいほど激しい闘志でチームを鼓舞した。野球の打者が投球を打ち返すかのように、カーンは相手シュートを撥ねつけた。それはGKの概念を覆す姿だった。

 身長188センチ、ドイツ代表GK3人の中でいちばん小さい。だがその存在感はとてつもなく大きかった。ルディ・フェラー監督はカーンを主将に選び、大会の正GKを任せた。

 ドイツは、グループリーグで2勝1分。アイルランドのキーンにこそ1ゴールを許したが、カメルーン、サウジアラビアを零封。決勝トーナメントでも、準決勝までの3試合はいずれも1対0。カーンはゴールの枠内に来たシュートの9割以上を止めた。

 その時すでに33歳。カーンのサッカー人生は長い忍耐と共にあった。

 16歳の時、クラブのテストを受けたがことごとく落ちた。決して最初から飛び抜けた存在ではなかった。

 W杯も1994年、98年大会で代表入りしたが、控えに甘んじた。初めて正GKになったのが02年大会だ。

 ドイツは地区予選でイングランドに1対5の大敗を喫するなど、苦難の末の本大会出場で、前評判は高くなかった。しかし、カーンの堅守もあって決勝に進出。相手は3Rと呼ばれたロナウド、リバウド、ロナウジーニョを擁するブラジル。両サイドには攻撃的MFのカフー、ロベルト・カルロスもいた。準決勝までにリバウドが5得点、ロナウドも6得点。世界中が、強力なブラジル攻撃陣とカーンの対決に熱いまなざしを注いだ。

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