職人技と機械を組み合わせ究極の手術器具を作る――高山隆志(高山医療機械製作所代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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 世界中の名外科医たちがこぞって手術に使う医療用のハサミがある。その名を「上山(かみやま)式マイクロ剪刀(せんとう)ムラマサスペシャル」という。これを製造しているのは、東京・谷中にある社員32名の小さな医療機器メーカーだ。熟練の職人技と高度な工作機機械を融合させ、至高の医療器具を生み出すに至った4代目社長の奮戦談。

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佐藤 世界中の脳外科医たちがいま盛んに使っているのが、高山医療機械製作所の手術器具です。一般向けの商品ではありませんから、知る人ぞ知る存在ですが、この度、東京商工会議所が主催する2022年度の「勇気ある経営大賞」を受賞されました。おめでとうございます。

高山 ありがとうございます。うれしいのはうれしいのですが、あまり賞には興味がないんですよ。たまたま付き合いのある先生方がスーパードクターばかりなので注目されますが、僕らは黒子ですから。

佐藤 ただ高山さんが手がけた器具がなければ救えなかった命もあります。高山さんご自身にスポットが当たるのは当然ですよ。

高山 そういうものですかね。

佐藤 受賞理由には「職人の手作業による医療機器製造を高度な加工が可能な機械化に転換。医療現場の生の声・ニーズを把握し、高付加価値製品を開発したこと」とあります。

高山 人がなかなか入ってこない世界ですから、機械化するしかなかった、というのが本当のところですね。

佐藤 歴史のある会社だとうかがいました。

高山 曾祖父・竹次郎が1905(明治38)年に東京・谷中(やなか)で創業しました。もとは両替商だったそうです。それが潰れてあちこち丁稚奉公に出され、最終的にはメスの「凹み磨き」という研磨方法を編み出した石川六郎さんの元で修業し、独立しました。

佐藤 ちょうど日露戦争が終わった年です。当時は日本の近代医学の黎明期ですが、戦争があると外科が発達します。

高山 そうですね。明治になって、政府は森鴎外をはじめとして軍医たちをドイツに留学させました。当時のヨーロッパでは外科学や整形外科学が発達し、それを学んだ留学生が手術器具とともに帰国します。そして東京大学で医学部が整備されると、周辺に医療機器を扱う商社がいくつもできるんですね。どこも「いわしや」という屋号なのですが、そこから職人のところに注文が来るんです。

佐藤 だから東大近くの谷中なのですね。

高山 また当時は、刀を作っていた職人たちが仕事にあぶれていました。

佐藤 廃刀令が出たからですね。日本刀の職人が失業した。

高山 彼らを陸軍がまとめて医療器具作りにあたらせたそうです。そして日本鋼製医科器械同業組合という団体を作らせた。曾祖父はその初代理事長でした。

佐藤 刀鍛冶職人が医療器具作りを担うようになったとは驚きです。

高山 入手の難しい鉄を軍部が管理していたことも背景にあります。昭和9年生まれの父が幼い頃には、家によく軍の偉い人が出入りしていたと聞きました。

佐藤 軍がバックにいるなら、かなりいい商売だったでしょうね。

高山 2代目の祖父・慶三の戦前の時代は、大卒の初任給1万円を1日で稼ぐくらい繁盛したそうです。ただ終戦とともに仕事がなくなり、一時はウナギ屋をやっていた。それが朝鮮戦争でまた復活するんです。

佐藤 やはり戦争で需要が高まったわけですね。

高山 戦争には軍医が必ず「外科箱」という手術器具セットを持って同行しますから、注文が一気に増えるんですよ。

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