恥をさらけ出す「西村賢太さん」私小説のすごみ 「芥川賞」受賞を後押しした大物作家【2022年墓碑銘】

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新しい私小説

 朝吹さんは、芥川賞を同時受賞する前から西村作品が好きだったという。

「お目にかかる前から作品を拝読していました。暴力シーンも多いのですが、不思議と嫌な気持ちになりません。痛快です。人が変わったようになる心理、突発的な怒りの感情を、たくみに言語化されていました。自虐も含め、人間の醜さやしょうもなさを、執念深く記憶し、愚かさを言葉にした方だったと思います」

 西村さんは小説にモラルを持ち込むとつまらなくなると言い、自分を客観視、恥もさらけ出して書いた。

 書評家の豊崎由美さんは西村作品を早い時期から高く評価していた。

「新しい私小説でした。人間の力強さ、卑屈さやしたたかさも描き、読者を爆笑させる要素もしっかりある。主人公がかんしゃくを起こすパターンは同じなのですが、懲りずに失敗を繰り返しながらも生きていく姿を、西村さんは一途に描き続けてきたと感じます」

 友人はおらず、風俗通いと古本を読みあさるのがわずかな楽しみだった西村さんは30歳を前に、大正から昭和の初期に活動した私小説作家、藤澤清造に心酔する。西村さんは藤澤の「没後弟子」を名乗り、全集の編集を目指し資料の収集に乗り出す。資金が足りず、周囲から借金を重ねるが、石川県七尾市の西光寺にある藤澤の墓を月命日に参る熱の入れようだった。

人の心を見抜いていた

 住職の高僧英淳さんは振り返る。

「もう25年ほど前からです。毎月のお参りでも驚きなのに、藤澤さんのお墓の隣に生前墓も建立しました。お墓に刻んだ文字も、藤澤さんが残した自筆から探して使ったほどです。深く慕い、心の支えにされていました」

 同人誌に発表した作品が04年に文芸誌に転載され、頭角を現す。芥川賞候補3度目で受賞。当時、選考委員だった石原慎太郎さんは西村作品を推し続けた。

 新潮社の担当編集者は言う。

「豪放磊落さと繊細さを合わせ持っていました。小説のプロットをカレンダーの裏に書くことに始まり、だんだんと文章を研ぎ澄ませていきます。構成も緻密でした」

 周囲に気配りをする一方で、駆け引きの度が過ぎたり、親しかった人とちょっとしたことで決裂する面も。

「若い時から人の顔色を見て気を使い、生きてきたのでしょう。人の心を見抜いていた。藤澤さんの墓前が一番落ち着けたのかもしれません。藤澤さんの没後90年の1月29日には30分以上、語りかけるようにお墓の前にいました」(高僧さん)

 2月4日夜、タクシー乗車中に意識を失い、病院に搬送されたが、5日に54歳で逝去。結婚はしておらず、家族とも没交渉だった。

デイリー新潮編集部

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