森友哉はオリックスに移籍へ 次々と主力が消える「西武FA流出史」を振り返る

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なぜ主力を失っても戦力を維持できたのか

 これに対して、西武がこれまでFA選手を獲得したのは、98年の中嶋聡、08年の石井一久、16年の“セルフ戦力外(FA史上初のテスト入団)”木村昇吾の3人しかいない。だが、これほど多くの主力を失ったにもかかわらず、西武はFA制以降の30年間でリーグ優勝7回、日本一2回と、まずまずの成績を残している。

 なぜ、主力流出後も大きく戦力ダウンすることなく、安定した戦力を維持しつづけることができたのか、球団の“流出史”を振り返ってみよう。

 まずは、95年の工藤、石毛流出後のチーム状況から。前年11勝を挙げた工藤の移籍後、西武は長い間、左のエースこそ不在だったものの、先発陣では、工藤と入れ替わりにドラフト3位で入団した西口文也が96年に16勝を挙げ、エースに成長した。

 一方、当時38歳の石毛は、森祇晶監督退任後の新監督就任の要請を断り、現役続行を希望しての移籍だった。引退を勧告されたことからもわかるように、選手としては構想外であり、西武最終年も三塁は若手の鈴木健と併用だったので、後釜も鈴木に決まっていた。

 石毛の移籍後には、2年目の松井もショートの定位置争いに加わるなど、急速に内野陣の新旧交代が進んでいる。“不動の4番”清原がチームを去った97年も、新たな大砲として獲得したドミンゴ・マルティネスが前年の清原と同じ31本塁打と108打点(前年の清原は84打点)を記録し、同年と翌98年のパ・リーグ連覇に貢献した。

順調な新陳代謝

 清原のFA移籍後、当初はマイク・グリーンウェルと契約寸前までいきながら、土壇場で阪神に逆転されたが、結果的に回りまわってマルティネスを獲得したことが吉と出た。

 松井がメジャー移籍した04年には、代わってショートに抜擢された4年目の中島がいきなりシーズンフルイニング出場。打率.287、27本塁打、90打点、18盗塁(前年の松井は打率.305、33本塁打、84打点、13盗塁)の好成績を挙げ、チームも12年ぶりの日本一を達成した。

 球団は、松井のメジャー志向が明らかになった3年前から、当時2軍だった新人の中島に高校時代に守ったことがないショートの経験を積ませ、後継者として育てていたという。将来の主力のFA移籍に備えて早めに手を打っているのも、流出の多い球団ならではの対応である。

 その後も豊田が抜けた06年に小野寺力が29セーブを記録して新守護神に成長し、大黒柱・松坂がいなくなった07年にも、横浜高の後輩・涌井が17勝で最多勝に輝くなど、順調に新陳代謝を繰り返した。

 主軸を打つ和田が抜けた08年も、前年急成長したG.G.佐藤と新外国人のクレイグ・ブラゼルでその穴を埋め、4年ぶりの日本一に。97年、04年に続き、FAで主力が流出した年にリーグ優勝、または日本一という“伝統”は生きていた。さらに、14年の涌井のFA移籍後に菊池が台頭し、19年に浅村が抜けると、空いた二塁に外崎修汰が入り、2年連続リーグ優勝をはたした。

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