日本の半導体産業を復活させるには何が必要か――太田泰彦(日本経済新聞編集委員)【佐藤優の頂上対決】

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エンジニアに敬意を

佐藤 ご著作には、半導体の重要地域として、アルメニアが出てきました。このアルメニア人も国外にいる数の方が多い。その一部は武器商人として知られています。

太田 アルメニアには、アメリカのシノプシスという会社の開発拠点があります。半導体設計の自動支援システムを提供する会社は世界に3社しかなく、その最大手です。アルメニアはロシアと緊密な関係がありますから、ウクライナ侵攻でどうなっているのかと思ったら、シノプシスは以前と変わらず首都エレバンで人を募集していました。

佐藤 ここに注目されたのは慧眼だと思いました。

太田 デジタル技術から見た地政学上の重要地域の一つはASEANで、もう一つはコーカサスだと思っています。アルメニアは人口300万人弱の小国でありながら、IT分野の雇用者数は1万7千人に及ぶと聞きます。アメリカからは他にも、計測・制御ソフトのナショナルインスツルメンツやマイクロソフト、ネットワーク機器最大手のシスコなどが進出しました。

佐藤 もうサプライチェーンの一角を占めているわけですね。アルメニアは、ロシアはもちろん、イランとの関係も極めて深い。戦略上、注目すべき地域です。

太田 アルメニアは資源がないため、デジタル産業で国を興そうとしたんですね。その時、まだ半導体産業が輝いていた時代の日本人エンジニアが現地に行って教えているんですよ。

佐藤 それが基礎になっている。逆に日本は存在感がなくなってしまったわけです。日本はこれからどうすればいいとお考えですか。

太田 私はシンガポール駐在時代、ファーウェイの本社がある中国・深センに通ったんです。この都市の中心にある華強北という一区画には、畳1~2畳ほどの電子部品店が詰まったビルが林立していて、その熱気の中から新しい発想が次々と生み出されてくる。華強北でよく日本の若者にも会いましたが、もう日本にはこんな場所はないと言うんですね。秋葉原はいまやメイドとアニメの街ですから。

佐藤 私は小学生の頃、部品のジャンクショップで真空管やコンデンサーを買いラジオを組み立てていました。3球のラジオを作りましたね。

太田 私もやりました。真空管は、1球、2球と呼び、トランジスタになると1石、2石となる。

佐藤 あれは楽しかった。ワクワクしながら作っていました。

太田 私もそうです。モノ作りに熱量があったんですね。同じものを華強北には感じました。でもいまの日本にはそれがない。

佐藤 私もそう感じます。

太田 だからいま必要なのは、モノを作る人、エンジニアがいろいろなことを、生き生きと面白がってやれるようにすることだと思うのです。それにはエンジニアに対する社会の敬意が必要です。

佐藤 日本では「理系」と十把一絡げにして、狭い世界に閉じ込めてしまうところがありますからね。

太田 同時にエンジニアの方々には、もっと自分の経済価値に目覚めてほしいんですよ。先日、日本の素材サプライヤーを訪ねたんです。世界中でこの会社しかできない金属加工技術を持っていて、インテルやTSMC、サムスンが毎日のように「こっちに回せ」と言ってくる。そんなに需要があれば値段が上がるはずなのですが、むしろ値切られている。

佐藤 どうしてですか。

太田 商慣習だそうです。お客さんを大切にするとおっしゃっていましたが、どうにも腑に落ちない。なぜだろうと考えていて「あっ」と気がついたんです、彼らは幸せなのだと。すごいものを作り、きちんと納期までに仕上げ、それで満足し、喜びを感じているのではないか。それは美しい話ですが、同時にもったいない、とも思いました。

佐藤 非常に日本的ですね。そこに経済合理性を取り入れた方が、持続可能性にもつながるでしょう。

太田 そうですね。日本には優れたエンジニアたちがいます。彼ら、彼女らの価値を正しく認める舞台を作っていかなければいけない。エンジニアが夢を抱けなければ、日本の未来は明るくならないと思いますね。

太田泰彦(おおたやすひこ) 日本経済新聞編集委員
1961年東京生まれ。北海道大学理学部卒。85年日本経済新聞社入社。マサチューセッツ工科大学に留学後、ワシントン、フランクフルト、シンガポールに駐在。2004~21年まで編集委員兼論説委員を務める。中国「一帯一路」構想に関する報道等で17年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。

週刊新潮 2022年11月17日号掲載

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