大塚家具創業家の「資産管理会社」が特別清算 結局すべて失った久美子元社長は何を思う

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株主総会から法廷へ

「15年2月、翌月に迫った株主総会を前に、勝久会長と久美子社長はそれぞれが会見を開いて、お互いの退陣を求めて委任状の争奪戦(プロキシーファイト)をスタートさせました。この時にも、ききょう企画の持つ大塚株が大きな存在感を見せました」

 株主総会では、久美子社長の提案が議決権の61%を得て可決された。勝久氏は退任に追い込まれ、多くのメディアが“娘が圧勝”と報じた。

「ここでまた、ききょう企画がクローズアップされます。実は08年に勝久氏は、ききょう企画に大塚株130万株を譲渡していた。その際、勝久氏を引受人とする15億円分の社債が発行されていました。5年後の13年4月、償還期限となっても払い戻されなかったため、勝久氏は請求訴訟を起こしていました。その裁判が始まったのです」

 舞台は株主総会から東京地方裁判所へと移ったのだ。

「法廷では母が娘をなじり、娘は父を批判するという骨肉の争いが繰り広げられました。久美子社長サイドは『償還期限の延長は合意されていた』などと主張しましたが、合意書もなかったため、勝久氏の主張が全面的に認められました。16年4月、東京地裁はききょう企画に15億円の支払いを命じたのです。久美子サイドはさすがに控訴しても見込みがないと思ったのか、大塚株を担保に銀行から借り入れ、利息を含む17億円を勝久氏に支払いました。この17億円の残りが、今回の負債1億円と言われています」

 ようやく法廷で決着がついたとき、すでに大塚家具のブランドイメージは地に落ちていた。久美子社長率いる同社は、16年12月の決算から赤字に転落した。16年に45億円の赤字、17年12月には72億円、18年12月は32億円……。19年末にヤマダ電機の子会社となり、今年5月に吸収された。

「大塚家具という会社自体がなくなっていたのに、借金だけがまだ残っていたということですね。大塚家具の経営が大赤字だったにもかかわらず、大塚家具の配当を『株主のため』と大盤振る舞いしていました。しかし、その配当は当然、ききょう企画にも入っていたわけです。ききょう企画の抱える借金への利払いが彼女の頭にあったとしたなら、やはり経営者として失格でしょう。久美子氏にとって、父への攻撃の基盤が、ききょう企画でした。結局は後々になって壮大なブーメランとして戻ってきた感じですね。大塚家具も、大塚家の子供たちを支えるはずだったききょう企画も、これで跡形もなくなったといえます。彼女は一体、何をやりたかったのでしょうか」

デイリー新潮編集部

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