亡くなった村田兆治さん 「10年くらい前から一人暮らし」「事件以来引きこもり気味」 近年は「うつっぽかった」の証言も

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「10年ほど前まで奥様もいらっしゃったけど…」

 今月11日、プロ野球ロッテオリオンズで投手として活躍した村田兆治さん(72)が自宅の火事で亡くなった。死因は一酸化炭素中毒とみられる。村田さんをよく知る球界関係者や近隣住民に話を聞くと、孤独な晩年、そして空港でのトラブルが尾を引いた可能性が浮かび上がってきた――。

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 異変が起きたのは、今月11日の午前3時過ぎ。世田谷区成城にある村田邸の近所に住む女性(72)が言う。

「消防車の音で目が覚めて、窓を開けたら、村田さんの家の2階がバーッと燃えていて。ガラスが割れるバリバリバリッていう音が聞こえて、しばらく経って村田さんが担架に乗せられて出てきました。その後、お腹を出して心臓マッサージをしていましたが」

 村田さんは近年、この家で一人暮らしだった。

「十数年前、村田さんの奥様から電話で、“私も忙しいし、主人も出たり入ったりだから、自治会を抜けたい”というお話があり、自治会の電話番号を案内しました。 その翌月くらいから、回覧板にあった名前がなくなっていました」

 そう話すのは近所の女性で、それからしばらくして、夫人(74)の姿を見なくなったという。

「10年ほど前まで奥様もいらっしゃいましたが、いまはお一人。奥様は関西のご実家でご両親の面倒を見ていると、村田さんがおっしゃっていました」

 と別の女性は語る。ロッテオリオンズ時代のある先輩も、

「10年くらい前から奥さんと一緒に住んでいないと聞きました」と証言する。

「自分をすごく責めたんじゃないか」

 今年9月、村田さんは羽田空港の保安検査場で暴行騒動を起こし、現行犯逮捕された。元ロッテの強打者で監督も務めた有藤通世氏(75)は事件についてこう振り返る。

「空港のトラブルが尾を引いている気がしますね。特に村田は、ああいうのを気にするタイプ。すごいショックだったと思うし、自分のことをすごく責めていたんじゃないかと想像します。金田(正一)さんが生きていてくれたら、なんらかの言葉をかけてくれていたかな、と思ってしまいます」

 その少し前にも、高いテンションが続いたかと思うと、急に無言になるので「少しうつっぽい」と感じたと話す野球関係者もいる。

 多くの人が口にするのは、村田さんの生真面目さが伝わってくるエピソードだ。

「尊敬できる兄ですよ。一つの志を決めて、自分にはできないことをいっぱい成し遂げた人ですから。逮捕の件ですが、相手には申しわけないと話していました。はい、ショックは受けていましたね」

 と語るのは、弟の光英氏。村田さんと親しかったという近所の女性が言う。

「3、4年前には庭で孫とキャッチボールをしてくださったり、と気さくな方で、最近も買い物に行ったり、ゴミ出しをしたり、普通の生活をしていました。でも、この間の事件から引きこもってしまったのか、出かけられないようになって、すごく心配していたんです」

 果たして火事は過失だったのか故意だったのか。現場には気になる痕跡もあるのだという。11月17日発売の「週刊新潮」では、気になる捜査の見通しの他、伝説的名投手の人生、その晩年の素顔、直近の様子まで5ページにわたって詳報する。

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