円楽さんの「圓生」襲名計画は名誉のためではなかった 「偲ぶ会」で兄弟子・好楽は「必ず圓生も円楽も継がせる」

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 三遊亭円楽さんの死によって、いまだ空席が続く演芸番組「笑点」の大喜利メンバーの後任は年内に決定の見込み。が、当の円楽さんが襲名に意欲を見せていた大名跡「三遊亭圓生」の行方は、いまだ定まりそうにない。

「圓生の名跡は、昭和54年に六代目が亡くなって以来、実に40年以上も空席が続いているんです」

 とはベテラン演芸記者。

「六代目圓生の三十三回忌が近づいた平成20年には、五代目円楽が一門の前で“鳳楽(75)に圓生を、楽太郎(六代目円楽)に円楽を襲名させる”と明言しました。ところが円楽の襲名が済み、次は圓生だというタイミングで五代目円楽が亡くなった。すると圓生の直弟子だった円丈、円窓(ともに故人)の二人が“直弟子こそが継ぐべきだ”と相次いで名乗りを上げ、三つ巴の争いに発展した。すったもんだの末、三人が襲名を断念し、大名跡は“止め名”として塩漬けに。それがいまに至っているワケです」

若い世代にバトンを渡そうとしていた円楽さん

 円楽さんは闘病中の令和元年に『流されて円楽に 流れつくか圓生に』を出版するなど、内外に圓生襲名への意欲を明らかにしていた。

「昨年11月に円丈が、今年9月に円窓が鬼籍に入り、円楽の圓生襲名への大きな障害はなくなっていた。兄弟子の鳳楽も円楽の意向に理解を示していましたから、円楽が健在だったら、数年以内に襲名は実現していたと思いますよ」

 歴史的な大名跡の復活劇は、低迷する落語人気の回復に一役も二役も買ったはずとの声もある。

 事情を知る関係者が言う。

「円楽が自らの襲名にこだわったのは、自分の名誉や栄達のためではなく“大名跡の圓生が落語界にいないのはもったいない”との一念だった。72歳と高齢な自分を後進への“つなぎ役”として、若い世代に『圓生』というバトンを渡していく考えだったのです」

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