日本人がW杯の現実を目撃した「エスコバルの悲劇」 「感動をありがとう」は許されない世界の常識(小林信也)

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死と向き合う現実

 設楽は、冒険家の植村直己のクルー兼取材担当として北極点に立った人だ。生死背中合わせの過酷な現実を知る稀有な編集者。私は、犬ぞりで南極点を目指す植村から届く雑音混じりの無線録音を聞く設楽の横顔を見て過ごした。そして、植村がマッキンリーで消息を絶った報せを受け、各方面と連絡を取り合う設楽の沈痛な姿も間近で見た。ナンバーが通常取材する野球などにはない“死と向き合う現実”がそこにはあった。

 94年6月、W杯本大会が開幕。私はロスに渡った。競技場の周辺はお祭り騒ぎだった。ブラジルから仕事をやめて来た親子がレプリカ・ジャージを並べ、滞在費を稼いでいた。試合は見ず、歓声の聞こえる場所で過ごすことが彼らのW杯だった。

 私はイタリア選手のホテルを通訳と共に突撃取材した。ロビーで選手がサポーターとグラスを交わし陽気に騒いでいた。サポーターにもまれながら、インタビューも撮った。大らかで無防備な時代だった。

「説明する義務がある」

 ローズボウルで1次リーグのアメリカ対コロンビア戦が行われたのは6月22日。ルーマニアに1対3で敗れたコロンビアは後がない。バルデラマ、アスプリージャらを擁し、南米予選を圧倒的首位で突破。最終戦ではアルゼンチンに5対0で快勝したコロンビアは優勝候補に挙げられていた。

 前半35分、アメリカが攻め込み、左サイドからシュートを狙った。これがセンタリングになった。急いで下がりながら足を伸ばし、懸命にクリアしたのがコロンビアのDFアンドレス・エスコバルだった。だが運悪くそれが見事なシュートとなった。GKの逆を突き、真っすぐにネットを揺らした。痛恨のオウンゴール。その後アメリカに2点目を許し、終盤1点を返したが1対2で敗れたコロンビアはあえなく敗退となった。

 エスコバルは27歳、代表で主将も務めた中心的存在。184センチと長身で、ペレアらと強力な守備陣を構成する経験豊富な選手だった。

 コロンビア代表選手は、大会後もアメリカにとどまった。すぐ帰国すれば身の危険があると理解していたからだ。しかし、エスコバルだけは「オウンゴールについて説明する義務がある」と言い、チームメイトの制止を聞かず帰国した。そして試合から10日後の深夜、郊外のバーを出たところを銃撃された。12発もの銃弾が浴びせられ、亡くなった。犯人は、「オウンゴールをありがとう」と言ってエスコバルを撃ったという。

 背後にW杯を対象とする巨額の違法賭博シンジケートが関わっているとの見方が伝えられた。犯人はその用心棒だった。真相はいまも明らかになっていない。

 感動をありがとう、じゃない。“エスコバルの悲劇”によって、W杯のそして世界のサッカーの表裏を実感させられた……。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年11月3日号掲載

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