長野久義の巨人復帰に思うこと【柴田勲のセブンアイズ】

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獲得すべきでないと思う理由

 松坂大輔が14年オフ、ソフトバンクに3年12億円で移籍した際、王(貞治)さんに「なぜ取るのですか。肩を故障しているし活躍できませんよ」と言ったことがある。

 王さんは「柴田よ、それは違う。彼には経験値がある。若手には松坂の姿から考えてもらう」と答えた。当時、松坂は34歳だったが3年間での1軍登板は1試合だけだった。

 さまざまな考え方がある。もちろんあっていいと思う。でも長野の巨人復帰で気になるのが若手選手1人の出番がなくなる可能性があることだ。控えの若手が結構いる。

 特に今年はドラフトで外野手を2人取っている。1位で高松商・浅野翔吾、2位で慶大・萩尾匡也である。浅野は高校通算68本塁打を誇るスラッガーだし、萩尾は内角も外角も広角に飛ばす打撃で実績を残している。

 ドラフト1位、2位で取ったのだからこれはもう開幕から使って育てる方針なのだろうとみている。特に萩尾は大学出だ。即戦力と期待されている。原辰徳監督が最終的にはジャッジすることだが、さてどうするのか。
 
 浅野だが、1軍に帯同させて代打や守備要員、後半に入って起用するとか中途半端な起用はダメだ。やめた方がいい。

 慌てることはない。2軍監督に指示して打てても打てなくても、とにかく「1番・中堅」でイースタン戦にフル出場させる。3カ月なら3カ月、あるいは50試合と区切ってもいい。ファームにもいい投手がたくさんいる。経験を積ませる。「不動の1番」となったら1軍に引き上げる。

 1軍でなにがあっても使う。もしくはファームで徹底的に鍛える。どちらが正解かは分からないがこんな手もあるということだ。

 最後に繰り返しになるけど広島、そして巨人の温情を感じた長野の復帰だった。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長を務める。

デイリー新潮編集部

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