講道館杯に古賀稔彦さんの“3人の娘と息子”が出場 準優勝した次男と長男が奇しくも見せた同じ姿

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 10月29日、30日の両日、柔道の講道館杯(講道館杯全日本柔道体重別選手権大会)が千葉ポートアリーナ(千葉県千葉市)で開かれた。プロ野球の日本シリーズと重なったため報道は少なかったが、コロナ禍での中止を経て2年ぶりの開催となった。今大会では「平成の三四郎」こと古賀稔彦さん(1967~2021)の3人の子どもたちの活躍に注目した。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

メダリストたちが敗北

 東京五輪の代表たちも出場したが、男子100キロ級金メダルのウルフ・アロン(26=了徳寺大学職員)をはじめ、女子57キロ級銅メダルの芳田司(27=コマツ)、男子90キロ級・向翔一郎(26=ALSOK)がことごとく敗北した。久しぶりの試合だったとはいえ、この大会のレベルの高さを証明することにもなった。

 そんな今年の講道館杯には、がんとの闘病の末に昨年3月に53歳の若さで亡くなった、「平成の三四郎」こと古賀稔彦さんの子どもたち3人が出場した。伝統の講道館杯に、きょうだい3人が選ばれること自体が驚きである。さすがは「三四郎」のDNA。とはいえ今大会では、3人ともが壁にぶつかった。

 初日は女子。末妹の古賀ひより(22=環太平洋大学)は57キロ級の1回戦で元世界王者のベテラン・宇高菜絵(37=ブイテクノロジー)と当たったが、早々に敗れてしまった。

 ひよりは神奈川県川崎市の中学時代は52キロ級で、東京五輪同階級金メダリストで、当時は夙川学院中学(兵庫県神戸市)の阿部詩(22 =日本体育大学)と闘ったこともある。高校から親元を離れて岡山県の創志学園高校に入り、高校選手権で王者になっている。現在は、かつて父が総監督を務めた環太平洋大学で鍛える。まだまだ頑張ってほしい。

「俺様柔道」の気概

 2日目は男子。60キロ級に二男の古賀玄暉(げんき・23=旭化成)が登場し、延長戦にもつれる試合を複数こなして決勝に勝ち上がるも、近藤隼斗(21=国士舘大学)に敗れた。

 玄暉は「喧嘩四つ」の相手に対して、肩車、巴投げ、隅返し、大内刈りなど息もつかせず技を繰り出すが、近藤の受けは強い。延長戦に入り、近藤が背中から落ちて主審は「技あり」を取ったが、ビデオ判定で取り消された。近藤の捨て身技と判断されたのだ。その後、玄暉は、近藤の左の内股を食らった。「技あり」を宣告された時、玄暉は不服そうな顔を見せたが、ビデオ判定は覆らなかった。

 4月の全日本選抜体重別選手権(福岡県福岡市)では、東京五輪王者の高藤直寿(29=パーク24)に見事な出足払いで一本勝ちし、畳の上で雄叫びを上げた。今回は、10月の世界選手権であっさり優勝した高藤が見守る中での試合だった。

 試合後の会見では、「自分のよさを出せなかった」「落ち着いて戦えたのは収穫」などと振り返った。それでも「自分の力はこんなものではないと思う。まだまだ自分の強さを証明していきたい」と気迫を見せた。生前、父の稔彦さんは、自分以上に激しい二男の攻撃柔道を「俺様柔道」と呼んで評価していた。

 表彰式で玄暉は、準優勝のカップをろくに見ることもせず、右手でぶら下げるように持っていた。「準優勝カップなんかいらない」と暗に訴えていたのか。筆者がそのことについて問うと、「悔しく、自分に腹が立った。最後にしぶとく勝つのか、思いきり行くのか迷ってしまった自分に対して」と打ち明けた。

「お父さんに比べてどこが足りないと感じていますか?」との問いには、「気持ちの面です。挑戦者の時や自分(の力)が上だった時の気持ちの持ち方とかを言われるのでは」としっかり答えたが、一度も笑顔にはならなかった。

 玄暉には今後、パリ五輪に向けて、高藤、近藤、そして今回は不参加だがグランドスラムを9回も制した永山竜樹(26=了徳寺大学職員)とともに熾烈な代表争いが待つ。

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