後世から見た2022年は物騒なのか、牧歌的なのか 10年前を振り返って見えてくるもの(古市憲寿)
十年一昔。今から振り返ると、10年前の世界は楽観に満ちていたように思う。
たとえば発足したばかりの中国の習近平体制には民主化を期待する声でみなぎっていた。父親の習仲勲が改革派知識人から高い評価を受けていたからだ。北京でも「習近平は父親をまねる」という声が多く聞かれたという(城山英巳「文藝春秋」11月号)。
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金正恩が最高指導者になった北朝鮮にも似たような願望が聞かれた。金正恩はスイスへの留学経験があり、西側諸国の価値観を体現している。若いリーダーは北朝鮮を「普通の国」にするのではないか、というのだ。
日ロ関係の緊密化が進むとも期待された。実際、2013年には安倍晋三総理(当時)がロシアを訪問、首脳会談を行い、日露パートナーシップの発展が約束された。
あれから約10年。さまざまな楽観論は打ち砕かれた。北朝鮮はミサイルと核兵器の開発を続ける独裁政権だし、中国では「新しい文化大革命」ともいわれる文化統制が進んでいる。ロシアは言うまでもない。
こう整理すると10年前の日本を巡る世界情勢は、何と牧歌的だったのかと思いたくなる。だが2012年のニュースをひもとくと、全く違う「世界」が浮かび上がる。
当時は尖閣・竹島の領土問題で、中国・韓国との関係悪化が深刻だった。中国では反日デモが過激化して、日中の経済関係にさえ影響を及ぼした。韓国では当時の李明博大統領が竹島に上陸するというパフォーマンスも決行している。
国内も揺れていた。新型輸送機オスプレイの配備に対しては大きな反対運動が起こった。特に配備直前にフロリダで墜落事故が発生、不安の声が多く聞かれた。まだ東日本大震災の記憶が生々しく、首相官邸前には毎週金曜日、脱原発を訴えるデモに多くの人が詰めかけた。何と10万人を超えた回もあったともいわれる。
だがこうして振り返る「2012年」もまた一面的だ。世界は、マスコミが伝える「大文字」のニュースだけで回ってはいない。
当時、僕自身、何度も中国や韓国を訪れている。反日デモを目撃することはなく、中国の友人からも日本に対する批判的な声は耳にしなかった。政治の話題を振るたびに面倒そうな顔をされただけだ。たまたま訪れた中国の戦争博物館で、「愛国教育」の現場に出くわしたこともあるが、引率の先生は児童にディズニー映画を観賞させながら、自身の携帯電話に夢中だった。
もちろん、この「2012年」のスケッチも、一般化などできないただの個人的な経験談に過ぎない。だが「大文字」のニュースに回収されないような、「小文字」の体験も世界の一部であることは事実である。
後世から「2022年」は物騒な時代に見えるのかもしれない。「激動の時代」とか「緊迫する国際情勢」とか、お決まりのフレーズで回顧されるのだろう。だが実際の2022年は、生ドーナツに行列ができ、平成リバイバルが起き、ちいかわの流行する時代でもあった。歴史には残るのだろうか。