鉄道150年と音楽 天皇陛下も懐しむ「鉄道唱歌」から「あずさ2号」、存続危機の駅メロまで

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 1872年10月14日、日本で初めての列車が新橋駅―横浜駅間を走った。

 今年は鉄道開業150年の節目にあたる。それだけに、あちこちで記念式典が開かれた。10月6日には東京都内で150年の記念式典が催され、天皇皇后両陛下が臨席。今上天皇は、あいさつで「鉄道唱歌の一部を口ずさんだことは、よい思い出です」と少年時代を懐古している。

 鉄道唱歌は、「汽笛一声新橋を~」で始まる有名な歌だが、実のところ誕生の経緯ははっきりしていない。同曲は大阪で楽器店を経営していた三木佐助がメロディの素晴らしさに注目したところから本格的に制作がスタートしたといわれる。

 作詞は国文学者の大和田建樹が主に担当したが、実際のところは二人で合作したようだ。

 二人はそれをアレンジして歌詞を完成させる。二人がアレンジした歌詞をつける以前にも、繰り返し歌詞に手が加えられているから、鉄道唱歌は多くの音楽家の手を経て誕生したことになる。

 作詞の経緯は判然としないが、他方で作曲も紆余曲折を経ている。三木は作曲を二人に依頼した。一人は東京音楽学校(現・東京藝術大学)の講師だった上真行、もう一人は大阪師範学校の教諭だった多梅稚。二人がそれぞれ作曲したので、当初の鉄道唱歌は2つのメロディが存在した。

 こうして完成した鉄道唱歌は、1900年に「地理教育 鉄道唱歌」というタイトルで発売される。タイトルからも窺えるように、当時は地理教育という目的を内包していた。

 2パターンが制作された鉄道唱歌だったが、上バージョンの鉄道唱歌は流行することなく、多バージョンだけが人口に膾炙していった。

 当時、日本全国で鉄道は走っていない。テレビもないから、現在のように誰もが鉄道を知っているわけではなかった。しかし、同曲のヒットで鉄道の存在は全国各地で認知されていった。鉄道の普及に果たした鉄道唱歌の影響力は計り知れない。そして、その後も鉄道を歌詞に織り込んだ歌が続々と生まれていくことになる。

箱根旅行ブームを巻き起こした歌詞

 例えば、1906年に鉄道国有法が成立すると、同法に基づいて日本鉄道(現・東北本線や常磐線など)や甲武鉄道(現・中央線)などの私鉄17社が国有鉄道に移管された。これにより、我が国の鉄道は4834.3kmに達する。

 それを祝して、鉄道五千哩祝賀会が名古屋で開催される。この祝賀会にあたり、五千哩競走鉄道唱歌が作歌されている。

 また、鉄道と音楽の関係性は政治的な役割を担うようになっていく。1923年に関東大震災が発生すると、東京・横浜は壊滅。迅速な復興に、国民の協力は欠かせない。政府や鉄道当局は、歌詞に鉄道を織り込んだ歌を次々と制作。歌によって、国民を一致団結させた。

 さらに、昭和初頭に日本経済は恐慌で大きく停滞。政府は国威発揚を意図して新鉄道唱歌を作歌する。新鉄道唱歌の制作は国民を巻き込むべく、東京日日新聞と大阪毎日新聞の紙面にて歌詞を公募した。

 集まった歌詞は、選者を務めた北原白秋と野口雨情が補作。こうした過程を経て鉄道の歌が制作されていった。皮肉なことに、国威発揚を狙った新鉄道唱歌は政府のプロパガンダ的な色合いが濃いことや濫造されたこともあって流行しなかった。

 関東大震災は政府の情報伝達手段を大きく変えたターニングポイントでもある。震災を機に、政府は情報伝達を迅速化するべくラジオの普及に力を入れていく。大正期から昭和にかけてのラジオ番組はニュースや歌が人気で、ラジオは流行歌が生まれる素地となった。

 ヒット曲はレコードも制作・販売されるようになるが、ヒット曲を立て続けに生み出すヒットメーカーも誕生する。当時のヒットメーカーとして知られる西條八十は、映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」を手がけた。映画「愛染かつら」は、恋人たちが待ち合わせる舞台として新橋駅が象徴的に描かれた作品で、ここでも鉄道と音楽の関係性を見ることができる。

 また、西條は映画「東京行進曲」と同名の主題歌を作詞したことでも知られる。「東京行進曲」の4番には「いっそ小田急で逃げましょか」という歌詞があり、これが箱根旅行ブームを巻き起こしたとも言われる。

「修学旅行」「津軽海峡・冬景色」「あずさ2号」

 戦後になると、鉄道を題材にしたコミックソングも生まれていく。冗談音楽という分野を確立した三木鶏郎は、「僕は特急の機関士で」(「ボクは特急の機関手で」という別表記も存在する)によって一大旋風を巻き起こした。

 修学旅行が盛んになった高度経済成長期には舟木一夫が歌った「修学旅行」が、1977年には作詞:阿久悠・作曲:三木たかし・歌:石川さゆりによる「津軽海峡・冬景色 」と、兄弟デュオの狩人が歌う「あずさ2号」がヒットソングになった。

 2020年前期に放送されたNHK連続テレビ小説「エール」は、作曲家・古関裕而をモデルにしていたが、その古関は「高原列車は行く」という歌の作曲を手がけた。この歌は福島県を走る沼尻軽便鉄道がモデルで、同鉄道は後に磐梯急行電鉄と改称。運行は蒸気機関車だったことから、鉄道ファンからは「急行も電車も走らない急行電鉄」と伝説的に語られる存在だった。

 黎明期に地理教育と鉄道需要の創出という役割を内包していた鉄道ソングは、戦後から原体験を呼び起こす文学的・芸術的な歌詞へと姿を変えた。そして国鉄がJRへ改組した後も、鉄道と歌の密接な関係は形を変えて継続していく。

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