何もかもが見えすぎる社会は人を幸せにしない――與那覇潤(評論家)【佐藤優の頂上対決】

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 透明化や可視化が「善」とされるこの社会。コロナ対策ではエビデンスや数値化といった言葉が声高に叫ばれた。しかしながら、それらによって事態は好転したか。むしろ不安だけが増幅されていったのではないか。何もかも過剰なまでに見えるようになった社会の陥穽を徹底検証する。

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佐藤 『翻訳の政治学』や『中国化する日本』など、斬新な切り口で日本近代史を描いてきた與那覇先生ですが、最近、「歴史学者」の看板を下ろされたそうですね。

與那覇 近日の歴史学者たちの態度を見て、彼らと同じ職名を名乗るのが嫌になりまして。双極性障害(躁うつ病)をきっかけとして2017年に大学教員を辞めた時から、もういいかなと思ってはいました。しかし病気の最中もお世話になった方から『平成史』を書く仕事をいただいたので、そのPRのためにも日本史の叙述を「現在」につなげるまでは歴史学者でいようと。だから同書の刊行を最後に、看板を下ろしました。

佐藤 『平成史』も面白かったです。ドイツの哲学者ヴィルヘルム・ディルタイを思い出しました。さまざまな出来事を解釈でつなげていく。解釈だから、当事者や原テキストを超えて考察してもいいわけです。ディルタイの仕事を現代でやると、あのような作品になるのだと思いました。

與那覇 光栄な感想です。平成史は「近い過去」なので、当事者への取材を売りにした叙述が主流になりがちですが、しかし「要人から直に聞いた話だから事実です」という書物ばかりでは、そうしたアクセス権を持つ特別な人しか歴史は書けないのか、という問題が出てきます。僕の『平成史』は逆に、国民一人ひとりに自らの体験の再考を促すというか、誰もが歴史の解釈者たりえるはずだとする発想で書かれています。

佐藤 そして「元歴史学者」となったわけですね。私はかつて「起訴休職外務事務官」という肩書を使っていましたが、それに近い(笑)。

與那覇 過渡期の肩書ですね(笑)。ところが前後してコロナが襲来し、歴史学者たちが「歴史」をちっとも踏まえず、日々ワイドショーのあおりを増幅するだけの姿を目の当たりにしました。それで彼らとは縁を切って、いまは評論家を名乗っています。

佐藤 コロナ禍では、さまざまな専門家が信頼に足る存在ではないことが明らかになりました。

與那覇 歴史学には、過去に向き合い、その意味付けを検証し、歴史を反省する役割があります。あの時はあれが絶対の正義だと思ったけれども、いま振り返ると違う考えの方が正しかった、といったように。そうした成熟した振る舞いを示すことが、知識人の本来の役割だと思います。

佐藤 コロナ禍ではそんな知識人を見たためしがないですね。

與那覇 その底辺が歴史学者で、国民がコロナを恐れていた時期には、医療の水準がいまよりはるかに貧しかった幕末のコレラや大正期のスペイン風邪を引き合いに出し、過剰に不安視させてパニックをあおる。しかしみんながコロナに慣れるや、知らぬ顔して責任は取らないわけです。

佐藤 専門家もその場その場で言うことが違いましたから、何を信頼していいか、わからなくなりました。

與那覇 コロナ禍が証明したのは、日本人が過去を遡らなくなったことです。最初期に安倍晋三首相(当時)が臨時休校を要請した時は、乱暴すぎると批判したのに、緊急事態宣言が出るとより極端な接触8割削減の政策に賛同し、しかし1カ月後の宣言延長時には経済優先を叫ぶ。もはや人の記憶は、1カ月も続かない。

佐藤 そこに物申すのが知識人の役割ですが、それぞれの局面であおる方に回っていましたね。

與那覇 歴史は短くて数十年、長ければ千年単位の「時間の幅」を意識せずには書けません。ところがいまは過去を振り返らず、次々と旬のトピックスに「乗り換えて」民意が求める発言をするのが知識人だと思われています。しかし、それならテレビの人気キャスターの方がずっと得意だし、インフルエンサーやユーチューバーとも変わりません。

佐藤 この傾向はいつ頃から顕著になってきたとお考えですか。

與那覇 やはり平成の末期、2010年代からだと思いますね。

佐藤 背景にあるのはSNSの普及ですか。

與那覇 「即レス」が基本のSNSやスマホの影響は大きいですが、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故が「脱原発ブーム」をもたらしたあたりから、歴史が参照されなくなっていった気がします。

佐藤 未曾有の災害を体験して過去がなくなった。

與那覇 ええ。大地震にしても原発事故にしても「未曾有のものなんだから、過去なんか関係ない、いまを見ろ」といった空気ですね。長らく戦争責任等を素材に、虚心坦懐に歴史から学ぶべきだと説いてきたリベラルな知識層も、目下危急の問題に取り組んでいるのに「過去がどうとか言って水を差すんじゃないよ」とする立場に変わっていきました。

佐藤 私はチェルノブイリ事故の年(1986年)から欧州で勤務したので、福島の事故を未曾有の事故とは思わなかったんですよ。だから脱原発運動があれほど盛り上がるのは、皮膚感覚として理解できなかったですね。

與那覇 印象的だったのは、脱原発デモを機に政界入りした、現・れいわ新選組の山本太郎氏の挿話です。彼は当時ツイッターで流れた写真を見て、にわかに60年安保のファンになった節があり、同じことをやれば世の中が変わると拡散していた。その光景に、日本ではもう歴史は生きていないんだと強く感じました。

佐藤 社会全体から時間軸がなくなっているんですね。

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