アントニオ猪木さん、追悼番組延期の背景に“圧力”か 「放送すれば法的措置も辞さない」

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なぜ遺骨が神奈川に?

 蔦温泉の経営者が語る。

「会長(猪木のこと)ご自身もお墓のデザインにはこだわっていました。会長が20案ほど考えた中から選んだのは、右腕を振り上げて“1、2、3、ダーッ”と叫んでいる姿を模したもの。墓石に刻まれた『道』の一文字も、会長直筆の書を下敷きにしています。費用は会長と折半させていただきました。会長には私も随分お世話になりましたから」

 墓には猪木の思いが存分に込められているようだ。

「蔦温泉は大町桂月の墓を約100年にわたってお守りしています。会長はそのことが念頭にあったのでしょう。“ここなら100年は(墓の)面倒を見てくれるからな”と語っていました」(同)

 ならば、なぜ遺骨は青森ではなく神奈川に埋葬されるというのか。経営者は、

「今はお話ししづらい」

 と口を噤(つぐ)むが、前出の知人は声を潜めてこう言う。

「弟の猪木啓介さんと現在のマネジメント会社のオーナー・湯川剛氏には、田鶴子さんに含むところがあったようです。田鶴子さんは生前、猪木さんのそれ以前の人間関係を遮断して、彼が周囲と接触するのを極端に制限していました。それが反発を招いたのでしょう。意趣返しというのでもないのでしょうが、猪木さんの遺骨がズッコさんと同じ墓に入ることに反対したと思われます」

「確かに總持寺で納骨する予定」

 そこで啓介氏に聞くと、

「確かに總持寺で納骨する予定ですが、これはアントニオ猪木本人の遺志です」

 と言い切るのである。

「きょうだいも、全員ではないのですが、そこ(總持寺)に入っていますし。なにより兄貴の娘も入っていますから」(同)

 猪木はプロレスの道に進んでほどなく21歳で武者修行のため渡米。米国人女性と出会って女児が生まれるも、その子は8歳で小児がんにより亡くなる。遺骨は總持寺の墓に納められており、だから父親の猪木も同所への埋葬を望むだろう、というわけだ。

 ただ、と啓介氏。

「蔦温泉さんの要望もあるので、一部は分骨することになります。そのことは生前、兄貴もいるところで関係者と打ち合わせをして決めました」

 骨はすべて總持寺に、という流れは食い止められたようだ。もっとも、意を注いだ墓で愛妻とともに眠ろうにも、それは結局、あくまで分骨という形になりそうなのである。

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